噂の真相
何があったのか?(プロローグ〜第1幕)


!注意!
このコーナーは原作のネタバレのページですので、読みたくない方は今すぐに戻ってくださいね。

ここでは、文庫本5冊にも渡るユゴーの原作から、ミュージカルでは説明しきれなかった部分や、舞台化するにあたって変わってしまった部分などのストーリーをご紹介したいと思います。
時制などの細かい違いは無数にありますので、単純にストーリーの違いがわかるように的を絞ってあります。書いてない部分はミュージカルを見ればだいたい伝わっていることだと思ってください。
それぞれのキャラクターについてのお話は、「みじめなる人々」にまとめてありますので、そちらも合わせてご覧ください。

第2幕〜エピローグ

参照文献:新潮文庫「レ・ミゼラブル」佐藤朔・訳


プロローグ

ミュージカルの歌詞さて、真相は?
「仮」は返すぜ
ジャベール
    奴をここへ呼べ24653 よく聞け仮出獄だ
まず最初に、バルジャンとジャベールが会話をしたという描写はありません。ツーロンの徒刑場にいる頃、ジャベールは副看守で、「しばしば(バルジャンを)見かけた」とは言っていますが、それだけです。次に、「仮出獄」という事実もありません。正式に刑期を終えて出てきました。ある重要なエピソード(後述)を抜いてしまったので、ジャベールの追跡をわかりやすくするために仮出獄で逃げた、という設定にしたのでしょうか。
アブラハム姉さん
バルジャン
    妹の子が
妹ではなく、姉の子だそうです。彼は早くに両親を亡くしたので この姉に育てられ、成人してからは恩返しという感じで姉の子の面倒を見ていたようです。ちなみにこのお姉さん、なんと7人も子供がいました。作り過ぎです(笑)。
見出しが意味不明な人へ。「アブラハムには7人の子」という歌があるのです。
パスポートプリーズ
バルジャン
    仮の釈放か 黄色い紙切れ見せろと言う
上記にありますように、この黄色い紙切れは原作では仮出獄許可証ではなく、「旅券」となっています。ようするにパスポートですね。とはいえ、今で言うパスポートというよりは、身分証明書としてのものだったようです。前科者だと、旅券が黄色かったということですね。
プチ・ジェルヴェ事件
バルジャン
    何ということをしたのだ 俺を迎えてくれたその手に背き 泥棒犬になるとは
ここが後述部分ですが、バルジャンは銀の食器を盗んだ後、司教様の許す愛に触れ、とても混乱します。歌のようにすぐに「なんて悪いことをしたんだ」と後悔したわけではなく、それまでの19年間自分が信じてきた「社会への復讐心」と「輝きに満ちた慈悲の心」とが心の中で戦います。その時偶然通りかかったサヴォワの少年(煙突掃除をする陽気な子供だそうです)、プチ・ジェルヴェが落とした銀貨を、それまでの19年間に培われた「野獣」の部分によって、無意識に足で隠し、盗んでしまうのです。プチ・ジェルヴェは何度も返してと懇願しますが、その時のバルジャンは自分が何をやっているかわからず、「あっちへ行け」と追い払ってしまいます。泣きながら少年が去った後、ずいぶん経ってからバルジャンは我に返り、銀貨を返そうとしますが、すでに少年の姿は見えません。そしてついに叫びます。「俺はみじめな男だ!」。司教様の許しを得た後の盗みだけに、さらに卑怯なことに思え、もうバルジャンには「ものすごく悪い人間か、ものすごく良い人間のどちらか」になるしか生きる道はないように思われました。そしてバルジャンは「正しい心」取り戻したのです。しかしこの事件によって、のちのちジャベールに追われることになります。

第1幕

ミュージカルの歌詞さて、真相は?
ああ、工場長!!
    ボスは知らないスケベな工場長
原作では、レマニで人気(笑)のこのスケベな工場長は出てきません。というのも、バルジャンの世を忍ぶ仮の姿である「マドレーヌさん」は、差別することなく誰彼構わず雇いましたが、唯一要求したことは「男には善意を、女には純潔を、すべての人に誠意を」ということでした。そして職場で男女が過ちを犯さぬよう、工場を女工員用、男工員用に分け、女工員用の工場は監督も女でしたので、工場ではそういう事件は何も起こりませんでした。工場長のファンはミュージカルの作者に感謝しましょう(笑)。
解決マドレーヌ
マドレーヌ
    なんだこの騒ぎは 街を治める私は市長だ 君が解決したまえおだやかに
実はマドレーヌさんは工場ではファンティーヌに会っていません。ファンティーヌが市長を恨むようになったのは、貧乏生活が始まってからでした。それも、このような直接的なことではありません。ファンティーヌを首にしたのは女工場の女監督独自の判断なのです。理由は「子供がいる」ということが噂になってしまったからでした。市長は工場についてこの正しい女監督に一任していましたし、市長の方針としては、ファンティーヌをやめさせることは間違ったことではありませんでしたので、女監督が悪いわけでもありません。そして、その時に女監督は「市長から」だと言って、工員のために使うようにと預かっていたお金の中から少しファンティーヌにあげたのです。このためファンティーヌは市長にやめさせられた、と思い、やめさせられた当時は「あたり前だ、仕方がない」と思っていたのですが、貧乏で生活が苦しくなってくると転嫁行動として市長を恨むようになってしまったのです。マドレーヌさんは、ファンティーヌが自分の工場で働いていたことさえ知りませんでした。
若気のいたり
ファンティーヌ
    本当よ子供がいるのは 父親が家出をしてね
これは涙なくしては語れません。ファンティーヌの生涯で一番いけなかったことは、「男を見る目がなかった」ということですね。この歌詞では、まるで一緒に生活をしていた夫が突然蒸発したかのように取れますが、もっと情けなく、性悪男にもてあそばれてしまっただけなのです。詳しくはキャラクター編ファンティーヌをご覧ください。
孤立だ!仲間はいない
ヒモ
    仲間に入れてやるぜ ラブリィレイディ!
これは舞台映えするようにこうしたのだと思うのですが、この歌のように売春宿のようなものは出てきません。ファンティーヌは工場をやめさせられてから、テナルディエから届く手紙を真に受けて、なんとかお金を作ろうと内職をし、髪を売り、きれいな前歯を2本売り、ついに売るものがなくなり「最後のものを売ろう」と自分から娼婦になるのです。
こらオヤジ!
バマタボワ
    あの顔初めて見るな 見せろよ味を見てやる
これまた変更部分です。バマタボワ氏は、客を探すために通りをうろうろしていたファンティーヌをからかっていました。それも「まずいご面相ですな!」とか「歯抜けか!」などという罵声で、ファンティーヌを買おうなどという気はまったくなかったようです。そして、それにまったく反応しないファンティーヌが癪にさわったのか、後ろからこっそり後をつけて、いきなり素肌の背中に雪を押し込んだのです。これはファンティーヌじゃなくても怒ってとびかかりたくなりますね。ミュージカルよりずっと嫌なやつです。雪のセットを作るのが大変だった(笑)のもあるでしょうが、前後のつながりを考えても仕方ない変更ですね。
俺は刑事だ
ジャベール
    話を聞こうか誰がどうしたか 事件の真相詳しく話せ
この歌詞を見るとまるで、ジャベールが一応は公平に2人の話を聞いたかのようですね。しかし、原作ではジャベールは歩み寄るなりいきなりファンティーヌをつまみあげて警察へ連れていってしまうのです。ここで、ジャベールがいかに「権威」や「地位」に盲目的に従っているかがわかります。つまり、バマタボワはちゃんとした市民であり、ファンティーヌは売春婦なので、絶対にファンティーヌが悪いという結論に達してしまうわけですね。そして事件の状況とファンティーヌの長い身の上話を聞いてからさえ、何の感動もなくファンティーヌを監獄へ入れようとしました。そこへ突然登場した市長とファンティーヌが初めて対面します。そして何も知らなかったというのに、「あなたが工場をやめさせられたのは自分のせいだと思う」と言って、市長はファンティーヌのことも子供のことも借金も、すべて引き受けようと申し出ます。ジャベールはひそかに「バルジャンでは」と睨んでいるとはいえ長官である市長を尊敬していたので(権威に弱いのです)、会うなり市長に向かってつばを吐きかけた女を市長が「釈放しろ」と言うことに混乱し、何度か抵抗を試みたものの顔面蒼白になりつつ引き下がるのでした。
俺は正義だ
ジャベール
    だが悪運つきまた逮捕です今日法廷に連れ出されてくる
    自分は違うと言っていますが嘘に違いないあいつがジャン・バルジャン
ミュージカルでは馬車の下敷きになったフォーシュルヴァン(彼は原作では老人です)を助けた市長を見て、バルジャンを思い出しながらも実はすでに捕まっている、ということを報告する形になっています。しかし、原作では馬車事件のずっとのちに、しかもわざわざ市長宅へバルジャン逮捕の件を報告に行きます。さて、なぜジャベールは市長殿にバルジャンの話をしたのでしょう。実はジャベールはファンティーヌを釈放しろと言われたことに腹を立て、前からひそかに考えていた「市長=バルジャン説」を警察当局へ訴えたのです。するとすでにシャンマチウと名乗るバルジャンらしき男が捕まっていると聞き、下級官吏(ジャベール)が長官(バルジャン)へ無礼を働いたという理由で、市長に自分を免職してくれと直々に頼みに行ったのでした。ジャベールは他人に対して厳しいのと同じように、自分に対しても厳しい人間なんですね。ここで彼が「自分の信じる神のもとに、正義の道を歩んでいる」ということが示されます。
とぅーびーおあのっととぅーびー
バルジャン
    あいつは全て信じている 身代わりいれば救いの神
    長い年月苦労の果てに 勝ち得たものを捨てられるか
ここで問題なのが、なぜまっとうに出獄し、司教様の銀食器を盗んだとは言え司教様の許しを得たバルジャン(の身代わり)が捕まり、裁判にかけられているのか、ということです。ここに例の「プチ・ジェルヴェ事件」がからんでくるわけです。読者には「くすねた」だけのように見えますが、なぜか罪状は「強盗」であり、しかも「再犯」であるために、下手をすれば死刑、そうでなくても終身刑の罪なのです。ここでもバルジャンが獄中で考えていた「罪に対して罰が重過ぎる」ということがわかりますね。しかし私にはなぜこの事件がジャベールの知るところになったのか謎です。この事件はまったく2人きりの状況で起きたものであり、その後バルジャンは通りかかった司祭様に打ち明けますが、あまり相手にされませんでした。一体いつ、誰によって、警察に知れたのでしょうか。ここだけは納得のいく説明はありません。

さて、話は変わって、いくら心を入れ替えたバルジャンとはいえ、19年間も過ごした地獄に、そう簡単に戻る決心がつくわけはありません。そして神のいたずらか、状況はまったくバルジャンに有利であり、名乗り出なくともなんの問題も起きそうにない。そういう状況であるがために、よけいに悩んでしまうバルジャン。「天国にとどまって悪魔になるか、地獄に戻って天使となるか」という究極の選択をせまられているのです。そして答えの出ないまま夜を明かし、翌日早朝、裁判の行われるアラスまで、わざわざ馬車を飛ばしていくのです。アラスまでの道のりは遠く、冬なのに御者もなく一人で旅をするバルジャン。その間も何度もアクシデントがあり、それでも諦めることなく夜遅くにアラスへ到着し、しかし傍聴室のドアを開けるまで彼は悩み続けました。そして悲しい決意に満ちた微笑みを浮かべて、告白するのです。ところでこの裁判にはゲスト(笑)がいました。あのバマタボワ氏が陪審員として出席していたのです。地位が高くてもいい人間とは限らないということを示しているのでしょうか。
胸の焼き印などない!
バルジャン
    さあみんなよく見ろ俺は誰なのか
    俺は24653
ミュージカルでは、裁判で名乗り出るときに胸の焼き印を見せ、一目で聴衆がジャン・バルジャンだとわかるようになっていますが、原作では「囚人番号の焼き印」は存在しません。現に、対決の後もう一度捕まってしまう原作では、囚人番号が9430号に変わってしまうのです。もし焼き印があったとしたら、ややこしいことこの上ありません。

バルジャンはすでに始まっていた裁判所の傍聴室に入るために、「モントルイユ・シュル・メール市長マドレーヌ」というメモを裁判長に渡すよう頼みます。裁判長は有名なこの市長を知っていたので、すぐに許可がおりました。しばらくは黙って裁判の様子を見守っていたバルジャンですが、証人として徒刑囚が3人呼ばれ、シャンマチウのことを「間違いなくバルジャンである」という証言をした時、ついに立ち上がって「こっちを見ろ!」と叫びます。一同は立派な市長のマドレーヌが「私がジャン・バルジャンです」と名乗るのを聞いて、彼の気が違ったのかとびっくりします。もちろん、3人の徒刑囚もこのきちんとした身なりの紳士をバルジャンとはわかりません。そこでバルジャンは、この3人についてバルジャンでなければ知り得ないこと、彼らの、毛糸のズボン吊りのことや、「終身刑」を現す焼き印を消すための火傷の跡があること、手に焼き付けた日付のことなどを話します。徒刑囚の1人の腕をまくると、バルジャンが言った通りの日付が現れました。一同は静まり返って、他人を身代わりにしないために名乗り出た男の感動の物語を見ていましたが、バルジャンはジャベールがいないので「逮捕する人がいないが、判事は私が誰だか知っているのでいつでも逮捕できるだろう」と言って静かに法廷を出て行きました。ジャベールは一旦はアラスに来ましたが、供述を済ませるとすぐに、職務のためにモントルイユ・シュル・メールに戻ってしまっていたのです。その後、裁判所から送られてきた逮捕令状を受け取ったジャベールはバルジャンを逮捕するためにファンティーヌが入院している病院へと向かったのでした。
聖女サンプリス
バルジャン
    気をつけろジャベール お前をたとえ刺し殺しても俺はやるぞ
ファンティーヌの死後、ミュージカルではバルジャンはジャベールを倒して出て行きます。しかし、原作ではなんと素直に捕まってしまいます。そして一旦警察に放り込まれますが、その夜すぐに脱走して身辺整理をします。そして家財道具を処分して、裁判費用とファンティーヌの葬儀代にあて、残りは貧しい人々に渡してほしい、という手紙を司祭に渡すよう修道女サンプリスに託します。このサンプリスという人は、それまでの生涯ただの一度も嘘をついたことがない女性でした。病人への罪のない小さな嘘さえつけなかったこの人は、5年間もその地方に貢献したマドレーヌさんをたった2時間で尊敬しなくなったモントルイユ・シュル・メールの人たちとは違い、まだ市長殿として尊敬していました。そこへ現れたジャベールが「だれかが来ませんでしたか」と尋ねると、生まれて初めて嘘を、それも迷いもなくきっぱりとつくのです。泣ける!ジャベールは権威に盲目的に従う人間なので、修道女(この時代は神に仕える身はとても偉かったのです)の言うことを頭から信用して引き下がったのでした。

その後、実はバルジャンは再度捕まっています。ここで彼は囚人番号9430となりました。しかし、軍艦での労役中、マストから落ちそうになった水夫を助け、疲れて海に落ちたと見せかけてまんまと脱出します。しかし新聞には「バルジャン死亡」の記事が。このおかげで、しばらくの間はバルジャンはジャベールの魔の手から逃れられたのでした。そしてモンフェルメイユへコゼットを救いにでかけます。
見え見えなんですわ
テナルディエ
    どうしようどう言う宝を連れて行く
テナルディエは、ミュージカルで見るよりずっと悪党です。2重人格で、「宿屋の主人」である時点ですでに、いつでも悪党になれる素質を持っている、と紹介されます。テナルディエ夫人の方はこれまたミュージカルとは一味違って、ものすごい体格でごついいじわるなおばさんですが、主人の言うことには絶対服従する妻として描かれています。この歌はバルジャンがコゼットを引き取ろうとするシーンですが、テナルディエは最初はバルジャンの汚い姿を見て「貧乏人のおじいさん」として粗末な扱いをします。バルジャンも最初は何も言わず、黙ってコゼットを見守っていました。しかし、ことあるごとにコゼットを守ろうとして大金をポンポン出すバルジャンに、コロッと態度を変え、ついにバルジャンが引き取ろうとするとこの歌のように「かわいがっているからコゼットは渡さない」と金額を釣り上げに出ました。ただしここはテナルディエ一人で交渉します。夫人は夫に従順で、席を外してくれと言われるとすぐに引っ込みます。しかし、見え見えな嘘にバルジャンは動じず、ぐうの音も出ないテナルディエは、それでも1500フランも置いて出ていったバルジャンたちを尾行までしました。もっとふんだくろうという企みは結局は失敗に終わりますが、「なぜ俺は銃を持ってこなかったのか」と後悔するあたり、かなりの悪党のようです。
10年の間に何があったのか?
テロップ
    十年後
ミュージカルでは、バルジャンがコゼットを引き取るといきなり十年が経ってしまいます。この間に、原作ではどんなことがあったのでしょうか。

コゼットを連れたバルジャンは、パリに見つけておいた隠れ家にしばらく暮らします。コゼットをバルジャンが救ったように、またコゼットもバルジャンにとっての救いでした。コゼットを愛することによって、それまで誰一人も愛したことがなかったバルジャンは父性愛に目覚め、つらい逃亡生活によっていつ司教様の光明を失わないともわからなかった人生にしっかりと正しい道を刻み付けることができました。しかし、モントルイユ・シュル・メールの監獄から脱走したバルジャンを捕らえるためパリ警察に呼ばれたジャベールは、そのままパリ警察勤務となり、しばらくは新聞記事によって「バルジャンの死」を信じていましたが、モンフェルメイルから来た、パリに出没している8歳くらいの小娘を連れた老人に疑いの目を向け始めました。そして追跡が始まります。隠れ家から逃げ出したバルジャンは、追いつめられた袋小路で間一髪とある館に逃げ込みます。そこには、2年前に馬車の下敷きになったところを助けたフォーシュルヴァンじいさんがいたのです。事故のせいで足が不自由になり、馬車屋を続けられなくなった彼は、マドレーヌさんの計らいで修道院の庭番になっていたのでした。

フォーシュルヴァンはバルジャンとコゼットが末永く安全に隠れていられるよう、男子禁制の修道院から人に見つからぬよう外へ出て、改めて「自分の弟と姪」だと言って住まわせるように算段します。修道院の特殊な環境がじっくりと紹介された後なので、それがいかに大変なことかは読者にはよくわかります。男は司教様か庭番の老人しか入れないのです。弟として紹介する前に見つかったら大変です。まずコゼットは背負い籠に隠して連れ出し、バルジャンは偶然修道院側と利害が一致したある葬式の画策により、空の棺に潜り込んで修道院からの脱出に成功します。墓地で棺から抜け出す時にアクシデントがありましたが、フォーシュルバンの機転のおかげで無事、修道院へ戻り、フォーシュルヴァンの弟になりすますことができました。
修道院という環境のおかげで、バルジャンは庭師としての仕事の傍ら、ともすると美徳と紙一重である「傲慢さ」へと近づきかけていた心を洗い清め、ますます謙虚に、感謝し、愛するようになります。コゼットは寄宿生として教育も受け、暗かった人生から徐々に抜け出し、子供らしい笑顔を取り戻していくのでした。
一歩間違うとストーカー
マリウス
    ごめん気づかないで
この辺から、原作とかなり違います。歌詞が前後してしまいますがご容赦を。ミュージカルではここでコゼットとぶつかったマリウスが一目惚れしますが、原作ではマリウスは実に長い期間コゼットを見ていました。マリウスが毎日散歩する公園に必ずバルジャン親娘が座っていて、マリウスは最初、バルジャンには好感を持つものの、まだ幼く(14歳くらい)やせこけているコゼットを「むさくるしい娘」として気にも留めず1年近くを過ごしていました。その後、マリウスは半年近くもその公園に散歩に行かず(理由は本人にもはっきりしません)、久しぶりにふらりと訪れるとそこにはまるでさなぎが蝶に変わったかのように美しくなったコゼットがいたのです。それでもまだ意識はしていませんでしたが、さらに数日が過ぎ、コゼットと目が合ったマリウスは、ついに恋に落ちました。そして数ヶ月もの間、目と目で2人は語り合いました。
毎日自分たちの近くをうろうろするマリウスをバルジャンは不安に思い(なぜ不安かというと、バルジャンはコゼットとの2人の生活を心底幸福に感じていたので、いわゆる『どこの馬の骨とも知れない』マリウスにコゼットが心を奪われることが我慢ならなかったのです。すっかり父親になっていたのですね)、座る場所を変えたり一人で公園に来たりしました。マリウスはこのテストにまんまとひっかかり、コゼットがいるときには場所が変わると自分も移動し、バルジャン一人しかいないと見るとすぐ帰ってしまったのです。また、バルジャンが落としたハンカチを彼女のものだと思い込み、イニシャルから勝手にユルシュールと命名し、肌身はなさず持っていました。さらに彼女を家までつけたりもしました。このため、バルジャンはマリウスがコゼットに気があることを確信し、その公園にコゼットと2人で来ることをやめてしまい、ついには家まで引っ越してしまった(詳しくはキャラクター編バルジャン(その1)参照)ので、マリウスはコゼットを完全に見失ってしまいました。彼はしかし、すっかり恋に狂ってしまっていたのです。
浮浪児の身元
ガブローシュ
    みんな、きをつけろ
    テナルディエ、どこかで安宿やってた、とんだぶたやろう
    腹黒い悪党どもだ
    あれがエポニーヌあいつ あばずれなんだ
原作では、テナルディエには娘が2人、息子が1人います。姉娘はエポニーヌ、妹娘はアゼルマという名前で、息子はなんとそう、ガブローシュなのです。しかし、息子はてんでかわいがらない夫婦でしたので、ガブローシュは幼くしてパリの浮浪児となり、ほとんど家には帰りませんでした。もっともテナルディエ一家は宿屋が破産してからというもの、泥水をすするような貧乏をしていて、一時は橋の下に住んでいたこともあり、家にいても幸せだったとは言えません。この頃一家はくしくもバルジャンが初めて隠れ家として使っていた『ゴルボー屋敷』というところに住んでいました。そしてその隣部屋になんとマリウスも住んでいたのです。
どちらさまでしょうか
マリウス
    エポニーヌ元気かどこに隠れてた
ミュージカルではマリウスは昔からエポニーヌを知っていたかのようですが、原作では長いこと隣の部屋に住んでいたにも関わらず、テナルディエ(ジョンドレットという偽名を使っていましたが)一家のことはまったく知りませんでした。もちろん隣に誰かが住んでいるということは知っていたし、不憫に思って溜まった家賃を払ってあげたりしたこともあったのですが、顔もよく見たことがないというありさまでした。もともと夢見るような青年でしたので、隣人になど興味がなかったのです。ですからある日突然訪ねてきたエポニーヌを、マリウスは誰だかわかりませんでした。しかもそのエポニーヌは、少女なのに老けているようなぞっとしない姿で、図々しく部屋を見て回ったりしたので、まったく好印象は持たなかったようです。とはいえあまりに不幸な隣の一家を初めてのように知り、夢想ばかりしていた自分を戒め、さらに同情の中に好奇心が芽生え、隣の部屋を覗きました。そこで彼は隣人の恐ろしい所業を見てしまうのです。
4人の悪党
テナルディエ
    仕事だ 抜かるなプリジョン、バベ、クラクス
    モンパルナスと二人で見張りに行け
この歌を聞いて私はずっとこの4人はテナルディエの手下だと思っていたのですが、原作ではこれもまったく違います。彼らは「パトロン・ミネット」というパリの暗闇をつかさどる4人組の悪党でした。特筆すべきはモンパルナスで、彼は『まだ18かそこらの青年でかわいい顔をしていて女のような体つきだが強盗ですでに何人もの人を殺めている、彼の犯罪動機はおしゃれをするため』ということです。もし舞台でこの通りのキャラクターに仕上がっていたら、モンパルナスファンも増えそうですね。さて、この4人組は、パリ中から恐れられていました。悪いことならなんでもござれという悪党だったのです。一方テナルディエは、貧苦のためいろんな慈善家の住所を調べて嘘の手紙を書き、娘に持たせて慈善家の情けにすがるという商売(?)をしていましたが、人から悪事を引き受けるような犯罪人ではなかったようです。マリウスにも同じように手紙をエポニーヌ経由で渡して(これが突然マリウスの部屋に現れたエポニーヌというわけです)お金をせびった日、ある慈善家親娘が手紙を見て家を訪ねてきました。それが昔自分の宿屋からコゼットを連れ出した男だと確信し、その時ポンと1500フランも出したことから大金持だと思っていたので、気づかないフリをしたまま家賃が溜まっていると嘘をつき、夕方支払い分の金額を持ってまた戻ってきてくれるよう頼みます。そしてその間にこのパトロン・ミネットに仕事を持ちかけたのです。夕方戻ってきたバルジャンはそれと知らず、言われたままに家賃に足りる分とプラスアルファのお金を1人で持ってきましたが、待ち構えていたテナルディエとパトロン・ミネットに捕まってしまいます。
スリル満点大捕物
テナルディエ
    知っているさ 俺のことは
エポニーヌ
    警察だわ、あいつは「ジャベール」
テナルディエはバルジャンに昔のことを話しますが、バルジャンは動じずにとぼけます。隙をみて逃げようとしますが、多勢に無勢、結局また捕まってしまい、今度はしばりつけられ、コゼット宛てに「すぐ来てくれ」という手紙を書かされます。コゼットに手紙を届けて、出てきたところを略取して、人質にしようというのです。しかしバルジャンは自分の命よりコゼットの方が大事なので、嘘の住所を書き、時間を稼いで、牢獄時代に作った道具で縄を切り、テナルディエが用意していた熱く焼けた鑿(のみ)をさっと奪いました。そして「私の命はそれほど大事ではない。もし脅迫して何かを強制できると思ったら間違いだ」と、自分の腕に焼けた鑿を押し付けて見せるのでした。そしてその鑿を窓から捨ててしまい、いよいよテナルディエはバルジャンを殺すしかないとナイフを取り出しました。その顛末を隣から覗き見していたマリウスは(詳しくはキャラクター編マリウス(その1)参照)なんとかバルジャンとテナルディエの両方を救い出そうとしますが、マリウスが合図するまで踏み込んでこない約束だったジャベールが勝手に入ってきてしまい、テナルディエ一味は捕まってしまいます。しかしバルジャンはゴタゴタしている隙に窓から逃げてしまいました。
実は知らないんです
ジャベール
    俺の名を聞いて逃げ出したのか
    胸の焼き印は間違いないな
    娘もいたけどそいつも消えた
テナルディエは仕事を持ちかけたパトロン・ミネットにさえすっかり心を許したわけではなかったので、バルジャンを脅迫している間、決して娘の名前を「コゼット」とは呼ばず、小さい頃のあだ名だった「ひばり」や「ちび」と表現していました。もちろんバルジャンの名前や素性はもともと知らないので、ここで「胸の焼き印が旦那を笑う」などとジャベールに言うことはありませんでした。ジャベールも、逃げた捕虜が一番の大物だったのでは、とは思いましたが、歌詞とは違いコゼットはそこにはいませんでしたし、この時点でそれがバルジャンとは思っていなかったようです。
恋のバカんす
マリウス
    エポニーヌ、君のおかげだよ
    僕をここへ連れてきてくれた
ゴルボー屋敷事件の後、エポニーヌも捕まって投獄されますが、証拠不充分ですぐに釈放されました。自由になったエポニーヌは、以前マリウスと仲のよかった元教会委員のマブーフじいさんのところへ行き、引っ越してしまったマリウスの居所をつきとめます。そしてずっと前にマリウスに頼まれていた、「例の娘」の家へマリウスを案内します。ところで、エポニーヌはどうやってコゼットの家を探し出したのでしょうか。それは本当に偶然でした。プリュジョンが次の標的として狙いをつけていた家がこのプリュメ通りの「女とじいさんしか住んでいない家」で、その下見に行かされたのがエポニーヌだったのです。しばらく様子を見たエポニーヌはそれがコゼットの家と知り、「どうにもならない」(つまり手を出すな)という意味の暗号をプリュジョンに伝え、手を出させないようにしてからマリウスをそこへ連れていってあげたのでした。ミュージカルではたった一度の出会いですが、原作ではマリウスはコゼットに愛を告白してから6週間も、毎晩通いつめて庭でコゼットと会い、『心は愛に溢れて』の歌詞の3000倍こっぱずかしいことを語り合っていたのです。そんなマリウスの歩く姿をエポニーヌは遠くから見るだけで幸せでしたが、ある日コゼットの家に向かうマリウスに思い切って話し掛けてみました。しかし、原作のマリウスは「君のおかげだよ」という感謝の気持ちすら忘れるほどコゼットとの恋にのめり込んでおり、目の前に現れた感謝すべき人物に向かって気まずそうな顔をするだけでした。マリウスとコゼットの恋は、それは神聖で純粋なものでしたが、マリウスはそのために周りがすっかり見えなくなっていました。尊敬する父への思いすら薄れかけていたので、父の恩人テナルディエの娘であるエポニーヌには義理があるということすら考えなくなっていました。はっきり言ってしまえば、恋に目の眩んだうつけ者と化していたのです。エポニーヌは耐え切れず走り去ってしまいました。ああ、かわいそうなエポニーヌ!
ラマルク、熨斗をつけてマリウスに返品される
アンジョルラス
    ラマルクの死 この死を
    無駄にしてはならない
マリウスは家出をしたころは確かにABCの仲間達と語り合っていましたが、コゼットに恋をするようになってからは、コゼットと会っている時間以外は夢の中にいるようなものでした。コゼットの名前も知らず、ただ見ているだけの時ですらそうだったのですから、お互いの気持ちを知ってからはコゼットとの密会だけが彼の人生になっていました。ですから、コゼットに恋をしてからはマリウスは全くABC友の会には出入りしていません。一緒に住んでいるクールフェラックが時々マリウスをからかうくらいで、アンジョルラス達とはかなりの期間会っていませんでした。ラマルクが死んだ時、ちょうど彼はコゼットから旅立つことを聞いて数年ぶりに祖父を訪ね、失望して帰ってきたところでした(詳しくはキャラクター編マリウス(その1)参照)。クールフェラックに「ラマルク将軍の葬式に行かないか?」と誘われましたが、マリウスには彼がシナ語を話しているように、つまり、まったく違う世界のことのように感じたのです。そしてもちろん、葬式には参加しませんでした。
二者択一ではなく消去法
マリウス
    彼女と行くか
    仲間と行くか
    ふたつにひとつ
ミュージカルではコゼットを取るか、仲間と戦うかを迷っていますが、原作はそんなに殊勝ではありません。1日でもコゼットに会わなければ死んでしまうくらいつらいとはいえ、このままではコゼットは父親に連れられてイギリスへ行ってしまう、自分にはお金がないので一緒に行くこともできない。最後の手段として祖父を訪ねて結婚を許してもらうために、1日だけ会わない決心をする2人は、その翌日には必ずまた会おうと誓って別れます。そして訪ねた祖父の言葉に自ら全てを拒絶したマリウスはもう打つ手がなく、翌日絶望しながらもコゼットの家に向かいます。そして、屋敷がすでに空っぽになっているのを見て半狂乱になりますが、どんなに叫んでもドアを叩いても反応はなく、がっくりと家の前に座り込みます。そこへ見覚えのあるような人影が現れ、彼をバリケードへと呼ぶのでした。(詳しくはキャラクター編エポニーヌ参照)何の書き置きもなく(本当はあったのですが)旅立ってしまったコゼット、彼女はもう自分を愛していないのだ。彼女がいなくなった今、自分に残された道は「死」だけ…。つまり、マリウスがバリケードへと向かったのは、絶望の上の「自殺」への近道としてだったのです。

1幕終わり

2幕〜エピローグ

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