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きゃ4さんの雑記帳

99年後半版

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THE WINDS of GOD , スクルージ(1999/12/24)
(12/25補足)
スクルージですが、スポンサーはついておらず、劇団ひまわりさんが独自の努力で
公演されているそうです。
決してひまわりさんが贅沢をしている〜という意味で書いたわけではないのですが、
そういう印象を与えてしまう恐れがある文章でしたのでここにお詫び申し上げます。
また、文中何度も書きましたように、私は「スクルージは良くない!」と言っている
わけではありません!!本当に、もうどうしようもないくらい悪かったのは単純に
「タイミング」なのです。もし「THE WINDS of GOD」のあとに見ていたのがレミゼ
だったとしても、同じ印象を持ったに違いありません。
再演される折にはもっとハッピーな気分で、息子でも連れてまた観劇することを
ここに誓います(笑)。
関係者ならびにファンの皆様におかれましては、私の文章力の足りなさゆえに
不愉快な思いをさせてしまい、大変申し訳ありませんでした。
(補足ここまで)

12月21日夜、「THE WINDS of GOD〜零のかなたへ〜」観劇。
これは俳優・今井雅之さんが本当に1から作り上げた、血のにじむような努力の末に
出来上がった芝居である。
とんとん拍子で進んだかに見えた公演旗揚げがいろんな難関にぶち当たり、それでも
決して諦めることなく一つ一つの壁を乗り越え、クリアしてきた今井さん。
そして日本人としては初めて単身でブロードウェイに作品を持ち込んで上演した。
最初は誰1人としてこなかったお客さんが、やがてチケット完売になるくだりは
感動的である。(この様子は「カミカゼ公演記inNY」という本で描かれている)
その後も順風満帆とは言えないかもしれないが日本でも公演を重ねていて、
今回の観劇は全国ツアーのラストを飾る東京公演の初日であった。

さて、私は前述の本をBちゃんからプレゼントされて読み、いたく感動していたが、
もちろん舞台を見るのは今回が初めて。9月にこの舞台を見るために単身でNYへ
観劇旅行をしたBちゃん本人は、台詞がすべて英語だったことも原因だったのかも
しれないが、それほどハマる作品ではなかったようなことをもらしていた。
なにしろ予算のない劇団なので俳優は基本的に素人、ただ「熱意」だけはある人
たちだ、と本で読んでいたこともあって、今考えると失礼極まりないことだが
私も実は舞台そのものにはさほど期待をしていなかった。

芝居は突然始まった。「売れない漫才師」という設定の主人公2人は、やや台詞が
早口で聞き取りにくいところもあったが、遅れてきたお客さんが完全に着席する
まで「今日の舞台の再現」という形でうまくまとめており、その間に客はどんどん
この2人のしゃべりに引き込まれていく。
飽きる間もなく「売れない」という割には面白い漫才(笑)を見ていると徐々に
ストーリーは進み、いよいよ本題へと入っていく。

大雑把に筋を紹介すると、この売れない漫才師が事故に合い、死んだと思って
目覚めると終戦間近の特攻隊の部隊に紛れ込んでしまっていた。どうやら彼らの
前世は特攻隊で、前世の2人も数十年前の同じ日に飛行機事故で記憶を失った
らしく、彼らはその前世の2人の体に乗り移ってしまった、という設定。
今時の若者である2人は戦時中の世界ではもちろん浮いてしまうが、徐々に
仲間と親しくなっていき、前世の記憶も少しずつ蘇ってくる。このままでは
自分たちの意識はなくなり消えてしまうのではと心配するが、前世の彼らは
なぜ特攻隊を志願したのか、が仲間たちや前世の記憶によって明らかになって
くる。彼らが選ぶ運命とは…。という話である。

人を選ぶような重苦しい話ではあるが、前半の主役コンビの笑いでかなり
すんなりと入り込める。暗転が多いとも聞いていたが、時間的にはかなり短縮
されていてそれほど苦にならない。ラストはちょっと余分かな、とも思える
展開だったが、とにかくいい舞台である。役者さん達も実に生き生きと
演じていて、決して大舞台の俳優さんに引けを取らない。
大道具はなく、机や椅子をうまく生かした舞台で、先日の「ウーマン・イン・
ブラック」よりさらに質素だけれど私にはちゃんとゼロ戦のコクピットや
曇った窓越しの滑走路が見えた。

馬鹿なことに全く期待していなかったので何も用意せず見ていたため、鼻水が
止まらなくなった私は途中でコートのポケットにあるはずのポケットティッシュを
ゴソゴソ探す羽目になった。そのうち鼻水が止まらないどころか、泣きすぎて
鼻が詰まってしまったくらいである。
そしてやはり日本人には日本語よね、と、同じく泣いていたBちゃんと
語り合ったことは言うまでもない。

舞台挨拶で「(同じ舞台をずっとやっていて)しつこいと思われるかも
しれませんが」とおっしゃっていたが、戦争を知らない世代にはどんどん
見てもらいたい作品なので、しつこいなどと気にせずに今後もずっと続けて
いってほしいものだ。
しかし、悲しいかな、日本ではまだ「特攻隊」という題材は受け入れられない
らしく、企業も政府も協賛してはくれず、彼らは相変わらず苦しい状態で公演を
続けているのだ。タブー視されているからといって諦めないのが彼らのいい
ところではあるが、こういう舞台をサポートできるようになって初めて、日本の
ショービジネスは一歩前進できるのではないだろうか。

と、こういう舞台の翌日に私は「スクルージ」を見に行った。
これは非常にマズいタイミングであったことは筆舌に尽くしがたい。
作品そのものや芝居には全く関係のないところで、私はどうしても乗り切れない
気分のまま舞台に対峙してしまった。
だってだって、あまりにも贅の限りを尽くした舞台なんですもの…(泣)。
スクルージが悪いわけではないことはもちろんわかっているのだが、どうして
ここにはこれだけお金がかかっているのに、あの舞台に協賛してくれる企業が
ないのか!!と、憤懣やるかたない思いにかられてしまった。
次に見るときにはもう少しハッピーな気分で見に行きたいものである…。

それでも身を切る思いで感想を言わせてもらえば、とにかく市村さんの魅力爆発の
舞台であった、と言わせていただこう。ストーリーが子供向けなので、さすがに
作品そのものを楽しむにはトウが立っている私にはそもそもツラいところだが、
連れて行ってくれたPちゃんの「これは小ネタを楽しむ舞台」との言葉もあり、
安心して市村さんの小ネタを満喫した。
戸井さんや広田さん等のレミゼ組もそれぞれ魅力的に演じていらした。
ああ、タイミングさえ良ければ…と残念でならない。

ともあれ、ハッピーなのも必要だが「戦争を二度と起こしてはならない」という
決意を新たにすることも日本人として、そして人間として大事なことであるはず。
もし機会があったらぜひともこの「THE WINDS OF GOD」を見ていただきたい。
1人でも多くの方にこの舞台に触れていただき、平和な時代に生まれたことへの
感謝の気持ちを一緒に持ちつづけてくれたらと願わずにはいられない。
とりあえず今公演は12月31日まで新宿スペースゼロで行われている。

キャンドルは燃えているか(1999/12/17)
12月15日マチネ、演劇集団キャラメルボックスの「キャンドルは燃えているか」観劇。
この作品は再演があるようなのであらすじは割愛させていただくとして、
とにかくタイトルしか知らない状態で見たのでまずはそのストーリーの奇抜さに
ビックリした。
SFファンに言わせればおそらくSFではないのだが(萩尾望都の「11人いる!」も
SFではないらしいので)、SF素人目(笑)にはちょっとSFチックである。しかも
専門的な場面や台詞は一切なしでそれらしく見せちゃう手法はなかなかのもの。
ああ、何にも知らなくても(←失礼)こういう話が書けるんだなぁと妙な感心をした。
見事な「省略」ぶりであった。

「よかった」という印象を残すために先に難点をあげておくと(笑)、ビデオを
含めて今までに見た4作品のどれもが、クライマックスに「死んでやる〜」だの
「殺してやる〜」だの、生き死に沙汰が描かれていて、たまたまかもしれないが
ちょっと食傷気味ではある。
せっかく力のある劇団なので、もうちょっと違うクライマックスがあっても
いいんじゃないかなぁと思わずにはいられない。

ところで久さんのげきろんにあった「なぜ踊るのか」だが、ことこの作品に
関してはダンスシーンが「オープニング」に見えた。ドラマで言うところの
「最初の歌」って感じ。
おそらく純粋に踊るのが好きでやっているのだとは思うのだが、それでもこれから
この作品が始まる、というオープニングだと思えば私はそれほど気にならなかった。

さて、それでは心置きなく「よかった」の感想を始めよう。
私がキャラメルボックスのどこが好きかと言うと、客をとことん楽しませてくれる
そのエンターテイメント性である。母体であるネビュラプロジェクトの社長、
加藤さんの言葉に「映画はやっぱりハリウッド」というような台詞があったのも
うなづける。芸術性のある作品も大事なのだろうが、キャラメルが目指すのは
とにかくエンターテイメントなのだろう。

脚本はこれでもかというほどドラマティックで、徐々に謎が解けていくところなど
グイグイとストーリーに引き込まれる。
着想も面白く、小道具それぞれのエピソードがいい。
そして、笑いのテンポがいい。全編にまんべんなく散らされた笑いのポイントが
とても心地よい。これが合わない人にはおそらくキャラメルはだめなんでは
なかろうかと思う。好みの問題なので仕方ないが、私はすごく好きである。

さらに、笑いの内容も私好み。ほとんど友達と仲間内で騒いでるようなノリだ。
今まで生きてきた色合いが似ているのか、「またつまらぬものを斬ってしまった」
とか「シャア専用ザク」とか言われても知らない人はまったくわからないだろうが
私はウケまくりである。(「またつまらぬものを…」はこの作品じゃないけど)
下手をすると単なる同人誌のノリになってしまうが、それはさらっと流してあるし
知らなくても何の問題もないようになっている。その辺のバランスもいい。

と、別に笑いの部分だけで好きなわけではない(笑)。
キャラメル全体に言えることだが、とにかく全力投球なのがすごくよく
伝わってくる舞台だ。そして役者の魅力を最大限に引き出していると思う。
贔屓の役者さんでもないのにかっこいい!とうなってしまうこともしばしば。
作品の良さもさることながら、スタッフの情熱もすごい。
演劇の舞台なのに必ず「前説」があり、その段階で笑いを交えながらきっちりと
お願いをする。そう、「お花やプレゼント、そして劇場内での写真撮影はお断り」
というやつである。当たり前のことだけれど、当たり前だと思わない人が多いこの
ご時世。ちゃんとお客さんが揃ったところで説明し、「携帯の電源切りタイム」も
設けるという徹底ぶり。すべてのお客さんに気持ちよく見てもらおうという姿勢が、
非常に好感が持てる。これだけの人気劇団なのに、もちろんカーテンコールに
フラッシュはひとつも光らなかった。
どこかの大会社に爪の垢を送りたい気分だ(笑)。

ちなみに、確かにストーリーはよく考えると矛盾や無理はある。しかしこれは
そもそも「緻密なSF」ではなく、大人向けのおとぎ話だと思う。素直に楽しんだ
者の勝ちではなかろうか。クリスマスにカップルで見るのにオススメな作品だ。
ユーザーフレンドリーとは(1999/12/4)
しばらく観劇予定がないのでちょっと独り言を。

最近インターネットは、結構いろんなメディアを使ってアクセスできるように
なってきている。
例えばゲーム機のドリームキャストしかり、iモードの携帯しかり、WebTVしかり、
ポケットボードしかり、といった具合だ。
HTMLもいろんな技術が追加され、面白いワザを使えるようになってきているが、
これはあくまでもバージョンの新しいブラウザにしか対応していなかったり、
下手するとパソコン使用者限定であったりする。
情報を発信するものとして、果たしてそれでいいのだろうか、という疑問は
常にある。いろんなことをしてみたいという欲求ももちろんあるのだが、
受け取れる側のあらゆる環境を想定し、できるだけ多くの人に読んでもらって
こそ、情報を発信する意義があるような気がする。
もっとも、あくまでも友人向けの非公開ページ!というのであれば話は別だが。

なぜこんなことを思ったかというと、私の職場のパソコンはやや旧式のもので、
使っているブラウザもネットスケープの3.02である。
とある方のページを覗こうとしたところ、その方のトップページはJava scriptと
いう技術を使っていて、コンテンツ(目次)にマウスポインタを合わせると
字の色が変わるしかけになっていた。
トップページには別に小さな文字で「Internet Exproler5.0推奨」と書いて
あるが、職場のパソコンのスペックでそんなものを入れたら恐ろしいことになる。
こちとらIE4でさえ重くて重くてしかたないのでネスケのしかも旧バージョンを
使っているのだ。そんなもの推奨されてもどうしようもない。
ましてや職場のパソコンをそんな理由で入れ替えることなど不可能なのである。
仕事に全然関係ないんだから。笑い

結局どうなったかと言うと、どのページを見ようとしても、コンテンツに
ポインタを合わせた途端javaエラーが出てしまい(たぶんこのバージョンだと
対応していないのだろう)、どうあがいても他のページに行けなかったので
もう見るのをやめてしまった。
私は家に帰ればもう少しはマシな環境で見ることができるが、職場の環境が
とてつもなくどうしようもないかというと決してそんなことはない。
たぶん同程度の環境で利用されている方も多いのではないだろうか。

こんなつまらない理由でお客さんを1人逃してしまうのは、私にとっては
非常にばかばかしいことである。
推奨してくれるのはありがたいが、そんなことよりもやはり低環境のユーザーに
やさしいページ作りをするほうがよほど親切というもの。
レマニもフレーム処理しているページはあるが、その場合連絡をくれれば
見られるように配慮しているし、トップはなるべく重くならないように
テキスト中心の作りにしている。
環境なんて自分で何ともできない場合も多々あるのである。

この方のページに限らず、トップがとんでもなく新しい技術を使っていて、
しかも旧バージョンでは見ることもできないページ作りをしている所は結構ある。
プラグインなど、何かソフトをダウンロードしてからでないと見られないという
ものもある。
内容の中で一部そういうページがあるというのならともかく、トップページで
いきなり門前払いを喰らわせるというのはどうだろうか。
あまり気分の良いものでないことは確かだ。

もしレマニが「こういう理由で見られない」という方はぜひともご連絡ください。
ご相談しましょう。でもこのページ見てる人は見られてるってことだけど。笑い

The Woman in Black(1999/11/18)
11月17日マチネ、「ウーマン・イン・ブラック」観劇。
これは上川隆也さん、斎藤晴彦さんの2人芝居である。

怖い、でも面白い!との評判を聞き、キャラメルの看板俳優上川さんが出演する
ことも相まって、生まれて初めて「舞台を当日券で」観劇。
生まれて初めてとは驚かれるかもしれないが、中途半端に田舎住まいの上職場も
地元だと結構勇気がいるんですよ>当日券。
わざわざ都心へ出ていって、下手したら見られないわけでしょう?
それはもうドキドキもんで並びましたよ(まあ言うほどじゃないけど)。
幸い、「座席」は直前で完売したものの、立ち見席を無事ゲットでき、
通路階段に座布団を敷いての観劇だったが、これが結構具合が良くて、
しかも安くてラッキ〜って感じだった。

さて、ストーリーを簡単に解説。
場所は劇場。弁護士キップスは悪夢に悩まされていた。理由は明白で、若い頃に
人には言えないような恐怖の体験をしていたからだった。
平穏な生活を取り戻すために必要なのはお祓いだと感じた彼は、家族や友人の
前でその体験を語り聞かせることで悪魔祓いに替えようとし、若い俳優を雇って
その手助けをしてもらうことにしたのである。
俳優は、あまりにも長いその台本を見て、素人であるキップスが1人で全文を
朗読するのは得策ではないと考え、自身が若きキップス、キップス本人はその他の
登場人物を演じることを提案し、毎日2人で練習を続ける。
その恐怖の体験とは…

とまあこんな感じで(肝心なところは全然書いてないけど)話は進む。
前評判があまりにも「怖い!」ばかりだったので身構えていたのだが、
所詮お化け屋敷程度なら平気な私、一番怖かったのは実は1幕の教会のシーンで
(そこも別に怖いシーンではなかったのだが)後は大きな効果音で驚くことは
あっても怖くはなかったのだった。
また内容的に古いためか、想像どおりに話が進むので意外性はなく、飽きるような
展開ではなかったものの、最後のオチは1幕の序盤で読めてしまった。

でも、芝居、舞台としてはこれはもう大満足。
「芝居、演技ってこういうものなんだなぁ」と改めて思った。
役者の演技ひとつ、効果音ひとつで、そこにないものが見えてくる感動。
台詞に頼らなくとも心情が手に取るようにわかる、その技術。
役者の力量がなければ絶対に成立しない舞台だ。
それに恐怖こそ感じなかったが、ドキドキはした。それは役者が演じる心情が
ひしひしと伝わってくるからに違いない。

弁護士オールドキップスを演じる斎藤さんの、最初は棒読みだった台詞が徐々に
上手くなっていき、劇中劇でありながら若き日の体験が観客の前で再現されて
いるように見えてくるあたりは流石。何役もをこなすけれど、もちろんそれぞれ
血の通った人間に演じ分けてくれている。
しかしやはり特筆すべきは俳優&ヤングキップスの上川さん。
もちろん過去3回のこの舞台を見たわけではないので過去キャストさんとの比較は
できないが、棒読みの弁護士に代わって演技するあたりですでに「役者の演技って
こういうものなんだなぁ」と思わせるだけの実力を十二分に見せつけてくれる。
そして、斎藤さんと同じく、劇中劇でありながら本当にその体験を今まさに
しているかのように思えてくるその迫力。
その上魅力的(チャーミング)でもある。華があるといいましょうか。
いや〜、いい役者さんです。

そして何よりこの作品、舞台という空間を最大限に生かした、舞台でなくては
ならない、舞台である必然性がある、舞台でしか楽しめない舞台である。
今まで「これはこの作品を舞台で見る必要があるのかな?」と感じるものが
少なからずあったが、この作品はその点大いに満足できたし、舞台の楽しさを
教えてくれた。

21日までのチケットは完売しているそうですが、その後亀有他でも公演がある
そうですので、興味が出た方はぜひぜひ一度ご覧になってください。
「舞台」「芝居」を楽しむなら絶対の満足を保証します。
あ、いや、まあその、好みもあるので「絶対」は撤回しときますか(^^;。

唄う市村座(1999/11/15)
11月14日夜、彩の国さいたま芸術劇場にて「唄う市村座」拝見(←観劇と
言っていいのかわからなかったので・笑)。
初めてのこの劇場、遠い遠いと聞いていたが、まあ言われるほどではなかった。
でも履きなれない靴を履いていったために、足にあざは出来た。
そのくらいには遠かった。
どうしてここでやるのだろう、地元だから?と話していたら劇場入り口に
でっかい花輪が1つ出ていて、やはりご親戚の感じであったが、差し出がましい
こととは思いますが花輪の選び方間違えてるよ>三平さん(笑)。

この「市村座」、噂には聞いていてかねがね行きたいと思っていたが、なにしろ
チケットが取りづらいと評判だったので諦めていたところ、Pちゃんが
余りチケットが出たそうでお誘いをかけてくれたおかげで今回ありがたくも
もったいなくも拝見できた。まずは御礼奉りまする。笑い

市村座をご存知ない方のためにちょっと説明すると、座長があの怪優(笑)
市村正親さんで、座員は1人。つまり市村さんの独り舞台である。
「ザッツ・ジャパニーズ・ミュージカル」の時の演出家、高平哲郎さんが
シー・ラブズ・ミーを見てふと思い付いた企画があれよあれよと実現したのが
昨年の旗揚げ公演で、今回は2回目。だそうである。
高平さんと言えばこの方が昔構成をやっていたタモリ出演のバラエティ番組
「今夜は最高!」が大好きでよく見ていたものだった。(市村さんが出演した
ことがあるとは知らなかったor記憶になかったが)
まだ売れていない頃のマチャミや柴田理恵などもレギュラー出演していた。
毎週のように見ていた私にとっては馴染み深い人達なので、実は人気が出た
ことが親戚のようにうれしかったりする(笑)。
この番組で斎藤晴彦さんがよくクラシックに乗せて早口ソングを歌っていて、
斎藤さんと言えばこのイメージだった。忘れられないのは小林克也とタモリが
不思議の国のアリスに出てくる変な双子をやっていたことだが、それはいい。
レミゼ、ミュージカル、市村さん、と回ってまた高平さんの作品に触れるとは
不思議なものである。

話を戻そう。
小ホールなのでこじんまりしているが、雰囲気のよい作りで、丸い座席配置に
通路がぐるりと囲んでいて客いじりしやすそうな感じ。
そんな話をPちゃんとしているとベルが鳴り、いよいよ始まり。
ご挨拶替りにとタキシード姿にマイクを持って「市村座」の歌を歌う市村さん。
案の定通路をぐるぐると歩きまわりながらの歌で、客大喜び。

暗転すると「1人につき着替え中」の表示があり、ピアノ、バイオリン、ドラム、
ベースの4人構成のバンドによるミュージカル曲メドレーが続く。
やがて再び幕が開くと、着物姿の市村さんが口上を述べる。
この口上も、さぶいオヤジギャグを交えながらもさすがの語り口。
すっかり市村さんのペースに乗せられる。

最初の演目は「音楽講談・噫無情」。
え?「ああむじょう」?
そう、なんとなんと、レぇ・ミぃゼラぁブル(こんな風に発音していた)を
音楽講談に仕立て上げて演じてくださったのだ!!
もうこれは「私のため!?」と勘違いもしようというもの(笑)。
でもなぁ、まさかなぁと思っていたがやがて聞きなれたメロディーがピアノに
よって奏でられ、ストーリーが講談風に語られつつ、さらに市村さんの口からは
「♪ンン、ンン、ンンンンンン〜」のメロディーが!そして手にした扇子を開くと
おもむろにそれを横にして回し始めた。
レミゼの歌を市村さんが歌っているだけでツボに入りまくっていた私に、
Pちゃんが小さい声でそっと教えてくれた。
「回ってる、回ってるよ!!」
そうか!あの扇子は盆を表していたのだ。うかつだぞ!!>私。
すると市村さん本人もハミングを中断して
「回り舞台です」
わかりづらい小ネタは自分で説明。さすが1人舞台である。

さて、これくらいで驚いてはいけない。
その後順番はちょっと違うのだがテナルディエの宿屋の説明が入った。
するといきなり市村さんはこう歌い出した。
「ネェオヤジ、いい酒をくれ、ウマいの出せよ」
ここですでに腹を抱えて爆笑していたが、この後なんとなんと「最後にゃあんた
身包み剥いでやる!」までのパートを全部ひとりで歌い上げてくれたのだ!
ど、どこまでやってくれるんだ〜ともう感激にむせぶ私達。
「う〜わ〜き〜がバレ〜たら殺される」なんてもう最高でしたよ。
ところどころに講談を挿みながら話は進み、さらにすごいことにバルジャンが
司教様の家を訪れ銀の食器を盗むくだりから「独白」まで、ああ、バルジャン、
司教様、警官(笑)の歌を全部市村さんが歌ってくれるなんて!!
こんな贅沢していいのか!後で追加料金取られるんじゃないか!!という感じ。
残念ながらプロローグだけで終わってしまったが(あたり前)、もうここだけで
今日の料金分見せていただきました、と手を合わせたくなった。

次にまたお着替えタイムがあり、今度は「舞踏劇・近頃振付男衆花紅彩画」。
読み方は割愛(笑)。とにかくダンスコーナーである。
私が初めて生市村さんを見たのは前述の「ザッツ〜」であるが、この時にも
そのダンスの切れの良さにうっとりしたものだ。
ボブ・フォッシーのダンスなどを交えながら、驚いたことに今度はなんと
「ひとりウエストサイド物語」(これはもちろん「Pちゃんのため!?」という
誤解つき・笑)である。さらには「コーラスライン」のダンスまで!
ん〜十歳とは思えない足の上がり方。
トークも「ここではちょっと書けないような内容」の笑い炸裂だったが、
さすがにお疲れなのだろう、コーラスラインのダンスに乗せながら幕は引かれ
20分の休憩に。

後半最初はエディット・ピアフの人生をシャンソンに乗せて送る「世話狂言・
艶容緋亜浮仏蘭西鑑」。前半があまりにもあまりだった(笑)ので、こちらは
落ち着いて見ていたが、陽気な曲での客いじりは爆笑ものだったし、
「愛の賛歌」は市村さんの気持ちがすごく入っていてじわっとした。
未だ見たことがないラカージュのザザを想像しつつ、市村さんの女形を楽しむ。
次に三味線(←練習期間1ヶ月!あのスケジュールでいつ練習してるのさ〜)を
かかえて江戸時代の流し(?)風に「三味線語り・恋懺悔由縁都々逸」を。
米米の「ホテルくちびる」を連想させる男女語りでミュージカルの男と女を
都都逸に仕立ててあり、まさに大人の世界。
それにしても、どれをとってもサマになるし決まる。ホントに芸達者な方。

しっとりしたところで最後は大喜利。笑点の「♪ちゃんちゃかちゃかちゃか、
ぷっぷ、ピ!」じゃありませんよ。歌舞伎の最後の演目が大切りと言うそうで、
にぎやかなものをやるとのこと。ジャンルは私にはよくわからなかったんだけど
赤穂浪士(私的タイムリ〜ネタ)の歌だった。
これは歌よりも後ろに降り続く紙ふぶきが切り方が四角くて(三角に切らないと
きれいに落ちないって古畑任三郎VSSMAPでやってたね)時々くっついちゃって
デカいやつがボトーっと落ちるのが気になったりしていた(笑)。
ごめん、市村さん。

アンコールにはラカージュの「私は私」(だったかな?)を歌い、一言だけ
ファントムを唸って終わりに。
とにかく市村さんのサービス精神、エンターティナーぶりがもったいないほど
うれしい公演でした。なにしろあの研究熱心さには本当、頭が下がりますね。
普通のことなら役者の仕事だろう!で片づけちゃうけど、市村さんにはマジで
頭下がりますよ。うん。
独り舞台なのにファンじゃなくても楽しめるよ!すごいよね!
この舞台は見なきゃ損です。昨日が千秋楽でしたが、また来年も再演がある
らしいし、ひょっとしたら地方公演もあるとのことなので、絶対チェックです。
こんなこと書くとますますチケット取りづらくなるけどな(笑)!

JCS(1999/11/09)
10月30日、パルテノン多摩にて劇団四季のJCS(ジーザスクライストスーパースター)
観劇。

主要キャストは前回見たジャポネスク版とほぼ同じ。
違ったのはヘロデ王で、下村さんじゃなくて半場さんという方だった。

感想としては、なんつーか可もなく不可もなくって感じ。
ジャポネスクではないのでいえずすでも吾作でもなかったのは良かったね(笑)。
でもアフロなのはなぜだ〜〜〜>ユダ!!
前半は動きが少なく説明っぽいストーリー展開のためうとうとしてしまった(^^;が、
後半は盛り上がってとても良かった。
でもまあ、入り込むって感じじゃあなかったのは確か。

柳瀬ジーザスは低音部分はすごく良くて、山口さんっぽい声だった。
でも悲しいかな、高音が私的には今ひとつで、音がぶら下がり気味なのが気になった。
ユダの芝さんは、最初ビーボさんが出て来たのかと思って(すみません、NHK教育の
キャラです)しまったが、歌は前回のジャポネスクと同じ人とは思えないほど
伸びが良くきれいだった。ジャポネスクの時は喉を痛めておられたのだろうか。

歌にしか触れていないのでお気づきかもしれないが、演技は…何も感じなかった。
私、鈍感なんでしょう。きっと。
ラスト近くはジーンとしたんですけどね。

今回一番困惑したのがヘロデ。一緒に見た初見のあまに、
「ヘロデんとこだけは笑っていいシーンだから」
と言ってあったのだが、…わ、笑えない。笑えないぞう。
オペラ張りに朗々と歌い上げられながら、本人いたって真面目に演じられて
いらっしゃって、コミカルなシーンなのになぜか痛々しいという、非常に
困惑を強いられる場面となってしまった。
私がファントムをあまり気に入らなかった、と書いた時にみんながこぞって
「誰誰さんのファントムで見て欲しい〜〜!!」と叫んだ気持ちが非常に
身近に感じられたひとときでした(笑)。

結論としては、私にはやっぱり四季のミュージカルは合わないのかな、って感じです。
嫌いではないんですよ、もちろん。でもこう、入り込めない。
ものすごく冷静に見ちゃうんだなぁ。これは単に相性のせいだと思う。
相変わらずの病気ですが、ビーボさんなユダで十分だろうとお思いでしょうが
違う、その人じゃない、と私の中の病気が騒いでいました。
で、わかったんです。
「ジーザスクライストスーパースター」の曲の時に確信しました。
そこにはそう、ユダではなくアフロヘアのデーモン閣下がいたんです…(笑)。

動物実験反対(1999/10/10)
レミゼとも舞台ともミュージカルとも関係ない話で恐縮だが、
世の中にはレミゼの登場人物よりもっともっとかわいそうな動物たちがいる。
科学的にもほとんど無意味でただただ残酷なだけの動物実験が行われているのだ。
この動物実験の反対運動をされている方からメールをいただいた。
「動物愛護」だけではなかなかお客さんが集まらないので協力してもらいたい、との
ことだったが、そのご本人のお名前を見てびっくりして飛び上がりそうになった。
そう、ロンドンオリジナルCDの対訳でご存知のレミゼファンも多いと思うが、
あの英語の達人、西森マリーさんその人だったのである。

私は以前にも友人から動物実験に関するページを教わり、あまりの残虐さに
怒りに震えたことがあったので、一も二もなく相互リンクを引き受けさせて
いただき、すでに8日からリンクのページに加わっている。
まだご覧になっていない方は、ぜひ一度ご覧ください。

西森マリーさんのページ

ところで、私はその精神に賛同して相互リンクをお引き受けしたので、
何ら見返りの期待なぞしていなかったのだが、マリーさんはとてもいい方で、
レミゼファンのためにも何かしたいとおっしゃってくださった。
マリーさんと言えば英語、そう、英語の歌詞で何か質問、疑問などがあったら
お答えくださるとのことなのだ!!
ロンドンCDの対訳もすばらしいが、全曲収録してあるわけではないので、
「この歌のこの歌詞の詳しい意味を知りたい!」等の質問を募集します。
メールマニマニなど掲示板で、まずは私宛に質問を送ってください。
マリーさんは今はお忙しいそうですが、12月以降にはご本人のページにも
レミゼのコーナーを設けてくださるとのこと。
このチャンスを見逃すな!

あ〜あ、やっちゃった(1999/9/17)
本家雑記帳を読んでくださった方はご存知と思うが、最近着メロに凝っている。
そんなおり、レマニーズのPちゃん(伏せ字にする意味なし)が、
涎(よだれ)が出そうな企画を始めてくださりやがった。
私もやりたいな〜と思っていたけど著作権問題があるので二の足を踏んでいたが、
このページのラインナップを見ていたら、行間から
「きゃ4さん、レミゼの曲は自分でやりたいでしょう〜」
というPちゃんの声が聞こえてきた(幻聴だ、幻聴)。
たださえ最近ハマっていたのでもう辛抱たまらんと、
Pちゃんリンクページからソフトもダウンロードしてとりあえず1曲作ってみた。
とりあえず、クールフェラックの絵を描くよりは楽そうだったし(笑)。

1999/9/19 好評につき曲を増やしました。
オルゴール館inレマニへどうぞ。

レ・ミゼラブル〜8月29日マチネ・ソワレ〜(1999/8/30)
8月29日、マチネとソワレを観劇。滝田楽と鹿賀楽である。

まず滝田楽。
結論から言うと、もうもう、心の底から「見て良かった!!」ということ。
前回の不完全燃焼分を取り戻して余りある舞台だった。
そしてさらに付け加えると、マチネで完全燃焼してしまい、ソワレではもう
ほとんど自分の中に燃料が残っていなかった(笑)。すみませんね〜。
滝田バルジャンは私にとって、まさに原作から抜け出たようなバルジャンだった。
そのおかげか今までに一度も泣いたことがないシーンで泣くこと数回。

泣きポイントその1、「バルジャンの独白」。
「20年前に、俺の道は消えた、(中略)パン1つの罪で〜!」
の後、少し間があるよね?そこで滝田バルジャンは突っ伏して泣いた。
それは司教様に受けた愛情(光)と20年間の自分の中の悪感情(闇)が闘って、
光が勝った瞬間に見えた。そう、私の愛する原作のバルジャンの感情だ。

泣きポイントその2、リトルコゼットを引き取って、抱き上げてくるくると回す
シーン。他のバルジャンは回し終わるとそのまま舞台奥へ去ってしまうが、
滝田バルジャンはそれからしばらく手を取り合ってすごく幸せそうに踊っていた。
前回書いた文章にあるように、コゼットはバルジャンにとっても救いである、と
いうのが痛いほど伝わってきて、エピローグを連想させられて泣き。

泣きポイントその3。ワンデイモア。これ、もちろん曲は大好きだけれど、
よもや泣く曲じゃないだろうと思っていた。それなのに、なんだか泣けて泣けて。
ここですでに8割方燃焼してました(笑)。

2幕はわりと冷静に見ていたのだが、いつもなら原作にない感情である
「彼を帰して」は落ち着いて聞けるのに、これも直前に見た映画
「アルマゲドン」のせいでうるっとした。見てない人、「彼を帰して」な心情が
よくわかる映画でオススメです(笑)。

さて、いろいろ他にも思うことはあったのだが、あまり多くを語りたくないので
滝田楽の感想はここまで。とにかく前回の観劇の感想で一部の方に大変な
ご心配をおかけしてしまったが、一応気分良く今年の公演を見終えることができた
のでご安心ください。
一応、と断ってある理由は後半にあります。

ソワレはあなたのために見たのよ!という今ジョルラスを中心に見た。
やっぱりいいですね〜。これまた「原作から抜け出したような」アンジョルラス。
それと、大楽で初めて出会えたまさに最初で最後、のリトルコゼット、楓ちゃん。
若干言葉が幼い感じはしたものの、音程はしっかりしていて、なにより演技が
良かった。もっとたくさん当たりたかったな〜。

私はとにかく今は原作中心に見てしまうので、みなさんと意見が分かれるところが
多いと思いますが、その辺はご容赦を。私の好みの問題ですから。

ところで「あくまでも噂」と何度も繰り返したものの、「来年12月」とはっきり
公言された、次回のレミゼ。
個人的にはもう少し休んでほしかった。
そして、もし本当に次があるならこれだけはお願いしたいという2項目がある。
なにも公式文書として東宝に提出する気はないが、自分の中では重大なことだ。

1,ジョン・ケアード氏に再度演出し直してもらいたい

去年までのレミゼをご覧になっている方にはお分かりと思うが、今年のレミゼは
どう考えても少し違う。何がどう、とはっきり言わずとも、「今年はジョンが
来なかった」という話を聞けば理由は言わずもがなではないだろうか。
もちろん私はご本人がどんな方かは知らないが、出版されている本、ビデオ、
キャストさんのインタビュー記事を読めば、ジョンの演出がいかにレミゼにとって
大事かは誰にでもわかると思う。
今年のレミゼのパンフに「ジョン・ケアード演出」と書くのははっきり言って
看板に偽りありではないだろうか?と、きっぱり言い切りたくなるくらい、
今年の(特に後半)テイストは去年までと違う。
そして、私がいかにジョンが演出したレミゼを愛していたかも痛感している。

彼の演出の大部分は内面的なものだそうだ。こういっては失礼だが、おそらく
日本の演出家の方はそんな演出はしていないのだろう。できていればこれほど
昨年までと演技面での差がでるとは思えない。明治の女性の一代記を演出するのと
同じに考えてもらってはレミゼではなくなってしまう。別に明治の女性の一代記が
いいとか悪いとかでなく、陽気なアメリカ風に忠臣蔵を演じられては気持ち悪いと
いうのと同じである。
もともと和風レミゼには違いないが、内面的基本レミゼテイストだけは保っていて
ほしいものだ。

2,つまらないことにこだわらず、いい加減に入口でカメラチェックしてほしい

初めて千秋楽をご覧になった方は、カーテンコールのいつにも増したおびただしい
フラッシュに驚かれたのではないだろうか。去年もこうだった。その前は知らない。
しかし今年は輪をかけてひどかった。はっきり書こう。ビデオを撮っている
人も何人もいたのだ。
マチネのときは感動を引きずっていたのでさほど気にならなかったが、ソワレで
周りを見回して愕然とした。
ここはどこ?芸能人のチャリティーショー?あなたたち、何をしに来たの?

正直に言えば吐き気がするほどイヤな気分だった。
このままカメラノーチェックが続くのなら、私はもう二度と千秋楽には行かない。
別に私1人行かなくても東宝さんは全然困らないだろう。
かといってわざわざ働きかける気力ももうない。あれでいいと思うのなら
そうすればいい。
でも、あのカメラ軍がちゃんと拍手をしていたなら、津波どころではない音が
したのではないかと思うと、残念でならない。

私はレマニを無法地帯にしないために、それなりの努力をしてきた。
そして、レマニ上でも「録音・撮影はやめよう」と何度も呼びかけてきた。
しかし昨日の客席は、私には無法地帯に見えた。
もはや1人1人の良心に訴えかけても焼け石に水であることはあきらか。
私の目に「東宝は努力をしない会社」と映っていても、誰が私を非難できるだろうか。
このままでは、客席の全員がカメラを持って誰1人拍手をしなくなる日が来るかも
しれないね。
そして私はそんなレミゼは絶対に観たくない。

旅に出ます。探さないでください。

という気分です。

バルジャンはなぜ死ぬのか(1999/8/26)
熱く語ろうの投稿へのコメントでも触れたが、私がレミゼを観劇するに当たって、
自分自身一番変わったことは原作を読んだことである。
原作を読む前は、ガブローシュが銃弾に倒れるところやエポニーヌが死んでしまう
ところなどでは涙した私だが、エピローグでは一度も泣いたことはなかった。
なぜだかわからなかったが、それが原作を読んで解決した。
原作を読まないと、バルジャンがなぜ死ぬのかわからないからである。

舞台ではバルジャンは結婚式のあと突然死んでしまう。
見た目には老衰に見えないこともない。が、結婚式前にマリウスと別れるところ
などはどう見てもピンピンしているし、だいたいあの長く辛い下水道を
あのデカいおぼっちゃまを背負って家に連れて帰ったバルジャンである。
突然老衰っつってもねぇ、と思っても無理はなかろう。
だから、事情を知らなかった私は、バルジャンの死は舞台が終わるための
予定調和にしか見えず、別に涙は浮かんでこなかったのだった。

仕方のないことだが、時間制限のある舞台ではこれに限らずいろんなことを
はしょってしまっている。筋を知らずに見ると訳が分からず、怒ってしまう
人もいるようだ。もちろん怒らないまでも、「これはなんで?」という疑問は
残るだろう。私はバカなので疑問は持たなかったが、少なくともバルジャンは
事情があって死んだとは努々(←ゆめゆめ、ってこんな字なんだ!)思わず、
役者さんの演技は二の次で(スミマセン)ただ美しいメロディと歌声に酔っていた
だけだった。

若干ネタバレになってしまうかもしれないが、原作を全くご存知ない方のために
少しだけ、舞台には描かれていないエピソードを紹介させていただく。
バルジャンの死の理由は「コゼットへの愛のため」である。
バルジャンがマリウスとコゼットの元を去ってから死ぬまでに実は約1年の猶予が
あるのだが、その間にバルジャンは急激に衰えてしまう。コゼットに会えなく
なってしまったからである。

若い頃は後家の姉とその7人の子供達と暮らしていたバルジャンだが、27の時に
パンを盗んだかどで牢獄へ入れられ、以来19年牢獄暮らしだったことは
舞台のプロローグでも語られている。
出獄後、バルジャンは一応姉の消息を探したが、結局分からずじまいだった。
そしてコゼットと暮らし始めるまで、彼は家族らしい家族は持たず、たった
一人きりで生きてきたのだ。
テナルディエの家でひどい扱いを受けていたコゼットにとってバルジャンが
救世主だったように、司教様に正しい道を教わったものの自分の中の愛情を
向ける相手がいなかったバルジャンにとって、コゼットはやはり救いだった。

舞台では「10年後」と一言で片づけられている間も、バルジャンとコゼット
にはいろんなことがあった。しかし、これまた一言で言ってしまえば、
バルジャンはその10年間、コゼットのことだけを思い、コゼットのために
生きていたのだ。マリウスを助けたのだって、「彼を帰して」の歌のように
マリウスを快く思っていたからではない。本当はコゼットを自分から奪い去ろう
とする敵のように思っていたのだ。しかし、自分は先に死んでしまうだろうし、
そもそも自分の気持ちはともかくコゼットには違う幸せを選ぶ権利もある、と、
そこまで考えて、彼はマリウスを助けるのである。
そして、バルジャンにとっては娘であり母であり恋人であり妻であった最愛の
コゼットから自らの意志とはいえ離れ(それもこれもコゼットの幸せのため)、
会えなくなってしまったことによって彼は衰弱するのだ。

こんなすごい愛があるだろうか。自殺ではない。本人に死ぬ意志があった
わけでもない。ただ、会えないことが生きる意欲を失わせてしまったのだ。
最初は約束通り1日に1度はコゼットに会っていたバルジャンだが、次第に
遠ざけられ(ネタバレしてもいいから詳しく知りたいという人は噂の真相
読んでくれ〜)、徐々に歩く距離が短くなっていき、やがて家から出ることも、
立ち上がって食事することもできなくなってしまうのである。
そして死ぬ間際に彼はむせび泣く。
「死ぬ前にもう一度、もう一度だけコゼットに会いたい!!」と。

この原作を読んでから、私は時々エピローグで泣くようになった。
愛のために死ぬというと嘘臭くて下世話な感じがするが、この愛は究極だ。
でも、こうして考えると舞台ではバルジャンのコゼットへの愛はあまり描かれて
いない。マリウスを思う歌があるのにコゼットを思う歌(ソロ)はない。
時間短縮のためとはいえ、原作を知ってしまうとこれはちょっと悲しい。
下手をするとファンティーヌとの間に愛情があったかのように見えてしまう。
それではバルジャンの一生を描いたことにはならないのだ。私的には。
エピローグで、最後にコゼットに会えたことに至極の喜びを感じてくれないと!!

こうして考えながら、つくづく私はレ・ミゼラブルという作品が好きなのだと
思い知る。好みの役者さんはいるが、それはあくまでもその人だと気持ちよく
レ・ミゼラブルという作品に酔いしれることができるからという理由だ。
もちろん好きな役者さん目当てに行く人がいてもいい。どちらが良いとか悪いとか、
そういうことを言いたいわけではないし、そんなふうに思ってもいない。
ただ、私自身はレ・ミゼラブルという作品そのものが好きなんだなぁと、
そう思っただけである。
つまり私は、舞台をきっかけに原作を読んで、本当にレ・ミゼラブルという
作品そのものを愛してしまった、という本末転倒な女なのだった。

で、何が言いたいのかというと、以前はとにかく歌がきれいなら文句はなかった
私だが、原作を読んでからはバルジャンの死に限らず原作に描かれているような
キャラクターの心情が感じられないと感動できなくなってしまったということだ。
時に厳しい意見を言ってしまうのも、とにもかくにも作品への愛情のためだと
ご理解いただきたいなぁとそう思った次第である。

TRUTH(1999/8/19)
8月18日(水)、演劇集団キャラメルボックス「TRUTH」観劇。
生まれて初めてのキャラメルボックス。名前と噂はもちろん知っていたが
その芝居に触れるのは全く初めてである。
最近テレビでご活躍の上川隆也さんだけは、友人の宣教活動により「大地の子」を
見て実力は知っていたが、特にファンというほどではなかったので、
こんなことを言っては失礼だが気分的には興味本位程度だった。さてさて…

だーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(;x;)。
最初から涙。まだ始まって1分くらいで、そのシチュエーションだけで私は
すでに涙ぐみ始めていた。
時代は幕末。誤って親友英之助を斬ってしまった男、弦次郎が主人公である。
弦次郎が裏切ったのだと思い、詰め寄る仲間達。そこからストーリーは始まった。
突然場面は転換し、時間が少し遡って仲間達の楽しい生活が描かれる。
笑いに関してもお笑いのプロ顔負けのテンポと内容で、きっちり笑わせてくれる
のだが、楽しいシーンが明るければ明るいほど、(舞台上の)現実の時間である
シリアスシーンが生きてくる。
現実(シリアス)のシーンと回想(笑い)のシーンが交互にくる間隔が絶妙。
涙が首まで伝った状態のまま笑わされる、奇妙な快感。その笑いがさらに
次の涙を誘う。「なんでこんな哀しいことになっちゃったんだろう…」

殺陣が決まってる!笑いが面白い!引き込まれる脚本!
オリジナルの音楽も芝居にピッタリでかっこいい(終演後速攻でCD購入)!
と、ツボにハマりまくりだったのだが、何より一番感動したのは、
キャラクター1人1人、誰を取っても無駄がなく、なくてはならない存在だと
いうこと。全員が舞台上で生き生きと息をしている(←あ、後遺症…)。
そして感動のラストシーン。「涙が出る」じゃなくて「泣いている」私がいた。

実はこの感動のラストシーン、某新聞のコラムに全部書いてあって、観劇前に
誤って読んでしまっていた。ばかやろー、公演中の芝居のオチまで書くコラムが
どこにある!と私は怒ったが、知っていても実はあまり関係なかった。
字で読んだものと舞台にある「TRUTH」(真実)は重みが違っていたから。
胸が熱くなった。いい芝居だった。

キャラメルボックス、前説から芝居、カーテンコールのファンへの心配りまで、
もう文句なしでファンになりました。西川さん、ラブっ!
誘ってくれたBちゃん、ほんっとにありがとう!!次も絶対誘ってね!
この「TRUTH」、池袋サンシャイン劇場で日曜まで公演中です。
当日券が出るので、興味のある方ぜひ見てください!

レ・ミゼラブル〜8月17日マチネ〜(1999/8/18)
8月17日(火)マチネ観劇。

1ケ月以上ぶりで、2階最前列センターという好条件なのでかなり期待して
出かけたのだが、残念ながら不完全燃焼で終わってしまった。
負の感情の意見は読んでいても書いていても楽しくないと思うので、
あまり事細かに書くつもりはないが、それでもある程度は吐き出さないと
レマニの存続にも関わると思うので少しだけ書かせていただく。

というわけで、以下の文章は「きゃ4関野の個人的見解である」ことを
念頭に置き、冷静に受け止める覚悟をしてからお読みいただきたい。
その自信のない方、また負の意見を読みたくない方は読まないことをお勧めする。


………ここから始まります………


まず、今日一番心に引っかかったのはこれ。
台詞なしの、全編歌でつづられたミュージカルにこんなことを言うのは
大変バカげている気がするのだが、それでも思わずにいられなかった、
「なんだか芝居がかっている」という思いである。
なんか何もかも大袈裟。どうしちゃったんだろう。

特に誰ということではなく、全体的にとにかく怒鳴り声が多い。
なにをそんなに激昂しているの?と聞きたくなるほどである。
これは全くの例え話だが、我々がテレビでドラマを見ていて「上手い!」と
思うのは「演技をしていることを気づかせない(演技に思えない)」時で
あることをおわかりいただけるだろうか?
もちろんテレビと舞台とでは全く違う、ということくらい承知している。
しかし、しかしである。

シチュエーションによって差はあるだろうが、ものすごく悲しいとき、
泣き叫ぶのと呆然とするのとどちらがより深く人の胸を打つだろうか。
簡単なのは泣き叫ぶことだろう。
しかし私はいきなり泣き叫ばれたら何か薄っぺらなものを感じてしまう。
そう、何だか薄っぺらなんです。
芝居がかっている=大袈裟=薄っぺらい、という感じかな。

私が感動してきたレミゼは、もっと厚みがあった。
泣き叫ばなくても、怒鳴らなくても、客席近くに寄ってこなくても、
胸にズシンと来るものがあった。
でも、今日は胸に届かないどころか、気分は落ち込む一方だった。
私が今一番知りたいのは、今の日本のレミゼを見たらジョン・ケアード氏は
いったいどう思うだろうか、ということである。

そんな今日の私の気分を救ってくれたのは、本田エポニーヌだった。
彼女のオン・マイ・オウンを聞いて、見て、冷め切っていた私の心は
感動し、その後しばらくの間はストーリーに入り込めた。
私の乗れない気分は決して回数を重ねすぎたせいだけではないことを
彼女が証明してくれた。

さらに、最近よく見ている10周年コンサートビデオが同じことを
証明してくれる。
淡々と歌うこのコンサートのビデオは、今でも私にキャラクターの
心情をひしひしと訴えかけ、涙を誘うのだ。
しかし今日、涙はもちろん一粒も出なかった。

前回の7月11日の時にはこれほどには気にならなかったことが、
なんだか悪い方に増幅されてしまっていた気がする。
私のすごく好きだった人の演技にまで拒絶反応を示してしまう自分が、
本当に本当に本当に悲しい今日の観劇だった。

こんな文章を書く日が来るとは思わなかった。
私は「レ・ミゼラブル」という作品が好きだし、今後もレマニを続けていく
つもりなので、努めていいところを探そう、見ようと心がけていた。
それなのに…。
今日感じたことが私の単なる気の迷いであることを、今は祈るばかりである。

断っておくが、今日感じた限りでない役者さんも多数いらっしゃる。
ただ、個人攻撃にしたくないのでぼかして書かせていただくことを
お許し願いたい。

レ・ミゼラブル〜7月11日マチネ〜(1999/7/12)
7月11日(日)マチネ観劇。
この日は初めて観る友人を連れての観劇だったので、私も初心を思い出しながら
ストーリーをきちんと追う見方(プリンシパル中心というか)を心がけてみた。
そして、「ワン・デイ・モア」のイントロを聴いてトイレを想像しないよう、
なるべく飲み物を飲まずに待機(笑)。

まず今公演初の鹿賀バルジャン。やっと、ついに、あいやしばらくである。
いや〜、良かった!歌もすごく良かったし、演技も良かった!
気合いが入りまくって音のない音符がたくさんあった(笑)けれど、とにかく
素晴らしかった。
この迫力に合わせて村井ジャベールもすごい気合い。とても力の入った舞台と
なっていたと思う。

それと、もっと良かったのが今アンジョルラス!
何たって、めっちゃグランテールに冷たいの(笑)。怒る怒る。マリウスを
からかってふざけた後のグランのテーブルに近寄って、くしゃくしゃになった
新聞をつかんでわざわざポイッと捨てる!
「グランテール、酒を置け!」はグランの顔も見ないで言う!
もう、すごくいいっ(笑)!!
なんかねー、アンジョルラスって私のイメージとしてはグランにこれくらい
冷たくて普通なんですよ。マリウスにもベタベタしないし(笑)、いやもう
すごく好み。
あと、以前岡さんのアンジョで「良かった」と書いた、狙撃兵に撃たれた
学生に近寄るシーン。今ジョルラスは学生を庇うのではなく、傷の具合を確かめて
いた。これもかなりツボ。すごくアンジョルラスとしての性格が一貫してる。
マリウスが撃たれて旗を振るシーンも、カッとなったのではなく、いよいよ
(バリケードの)最後を悟ったという表情に見えたし。
性格の一貫性は私にとっては重要性が高いんですよ。歌もすごく良かったですね。
前回は感じなかった今さんらしさというものを確立されたと思う。
このまま突っ走って〜。来年(次回)もアンジョやって〜という感じ。

斎藤テナと森マダムは絶妙のコンビ。笑わせるためのキャラクターを完全に
作り上げていらっしゃる。なんというか、躊躇なく笑える。「ここ、笑って
いいのかな?」という逡巡を与えないというか。森クミさんには斎藤さんとの
コンビが向いているかも。
ユキオちゃんはかっこいいテナルディエを作り上げてほしいな〜。

歌穂さんのエポニーヌは、初めて観る人には欠かせないキャスティング。
世界一のエポニーヌを見られるうちに見ておいてほしい、という思いがある。
美奈子ちゃんのエポもとてもいいんだけど、歌穂さんのエポはいつまで
見られるかわからないし…。というわけで歌穂さんエポニーヌでした。
今回はオンマイオウンより恵みの雨が心に浸みました。だんだん弱っていく
エポニーヌ。泣けます。
ファンティーヌはほのかさんでしたが、歌い出しがいつもやや音が低めなのが
気になるけれどサビの部分(あるのか?・笑)の伸びが素晴らしくて帳消し。
エピローグのバルジャン、エポとのアンサンブルがめっちゃきれいだった。

禅ちゃんマリウスも今公演初。やっぱりいい。歌声が好き。
でも、時々やりすぎ?と思う力の入れ具合があって、もうちょっと淡々と
やってくれてもいいかな、という思いはある。その代わり、その力の入り具合が
あったおかげでカフェソングの押さえた歌声がより強調されていたかもしれない
ので、まあいいのかな〜と思ったり。
カフェソングは絶品でしたね〜。シングルカット(?)してほしいよ。

優ちゃんのコゼットは、やっぱりかわいい(*^^*)。初見の友人は「(優ちゃんの)
キャラが強すぎてなかなか感情移入できなかった」そうだけど、さすが元(笑)
アイドルだね。高音部もかなり声量アップしたし、音程も安定(notシャレ)。
3人でのアンサンブルがすごくキレイになった。いや〜苦節2年(笑)、
良かった良かった。それに地声の部分は、やっぱり優ちゃんの声が好きです。

今回改めて思ったのは、何も知らない状態で見るとやっぱりストーリーは
わかりにくいということ。ジェットコースターだし、原作を知らないと
どうしてだかわからない、ということがたくさんある。それを補って余りある
感動というのはいったいどこから出てくるのか、というと、やはり役者さん
それぞれが作り出す歌と演技とパワー。
友人は観劇後あれこれ私に「ここはどうして?」と聞いていたけれど、それでも
とても感動してくれた様子だった。
やっぱりレミゼの舞台って素晴らしい。

私も今回の「ストーリーの流れにそって見る」というのは感動に直結しやすい
ことを発見。ついつい先を知っているのであれこれ見てしまいがちだが、
たまには初心に帰ってこういう見方もいいものだ。
でも今回、ひとつだけこの指針と反することをした。
バベ役の役者さん(今回は乾さんでしたが)、バリケードシーンに登場している
けれど政府軍の歌が聞こえるときにはちゃんといなくなるんですね(笑)。
バベ役はあんまり歌がないけど、政府軍の歌は朗々と歌ってくれるので、
乾さんの政府軍の歌に聴き惚れながらひょっとして録音なのかな?とついつい
気にしちゃった〜。てへ☆

観劇の値段(1999/7/1)
お金の価値観というものは、目的やTPOで結構変わるものだ。
例えばスーパーで買うようなものだと、100円安いだけでずいぶん安い気が
するし、車を買うときには5万円のオプションでも簡単につけてしまったりする。

さて、観劇のお値段というのはどうだろう?
これは完璧に見る人個人個人の差が出ると思う。
好きな人なら惜しくないと思うかもしれないし、通うには高いと思うかも
しれない。じゃあ、見たことがない人にとってはどうなんだろう?

私はレマニを作っているため、普段ミュージカルを見ない友人にチケットを
頼まれることがあるが、せっかくだから(おそらくは1度しか観ないだろう
から)前の方、と言われるとS席13500円也を請求することになる。
これは大概は「結構高いね」と言われる。
私は何故か謝りながら引き受けるのだが、確かに言われてみればものすごく
高い。13500円あれば、100円のゲームが135回もできるのである。
手取り135000円の人にとっては給料の10分の1である!
#ちなみに私はパートなので、1ケ月分の給料を全部使ったとしても
#3回観られるかどうかである(笑)

リピーターにとってはせいぜい何回通えるかが問題となるくらいだが、
初めての人にとっては海の物とも山の物ともつかないお芝居に13500円
出すのは結構勇気がいるのではないだろうか。
日本でミュージカルがあまり一般的でないのはこの金額に左右されることも
あると思う。
だからこそ、初めて見る人を連れていく時にはこちらも緊張する。
気に入らなかったら13500円捨てたようなものだと言われかねない。
別に気に入るかどうかは個人差なので私が負い目を感じる必要はないが、
レマニがこれだけ大きくなったことを知っている友人たちにとっては
おそらく期待も大きいだろうと思うとさらに重圧である。
しかし、単なるファンである私にはどうすることもできないのだ。

役者さんは毎日毎日同じ舞台を演じられて大変だと思いますが、これから初めて
観る人のためにも、体調に気を付けてがんばってくださいませませ。
私たちファンにできることは、応援することくらいです…。
ファンって無力ですね。

魔女裁判(1999/6/22)
いつの世も、新しいものが受け入れられるまでには長い年月がかかるものだ。
ガリレオ・ガリレイが地動説を支持した時、彼は長いこと変人扱いされたと言う。
今でこそ文明に生きる人々で天動説を信じている人はいないが、天動説が
当たり前だった時代には(宗教的背景もあったようだが)真実と受け入れられる
までに気が遠くなるほどの時間がかかった。

天体といういわば現実味のない概念だけではなく、身近なものでもそうだ。
自分の理解できないもの、得体の知れないもの、自分の考えを凌駕しているものを、
人々は昔から排除しようとしてきた。
新しいものを生み出す人々、そしてそれを受け入れ同調する人々は必ず少数派で、
それが当たり前になるまで耐え忍ぶか、若しくは保守的な流れに駆逐されて
しまうかである。これは現代でもそれほど変わらないように思う。

パソコンを使うインターネットは、車や電話と同じ、単なる道具だ。
この現代、事故が起きるから車が憎いという人はまずいない。
うるさいからという理由で携帯電話撲滅を叫ぶ人ももういない。
なぜならそれらが非常に便利な、単なる道具であることを知っているからだ。
事故を起こすのは運転手の不注意であり、マナーが悪いのは使っている人の
責任である。車や電話自体が悪いわけではない、ということは誰もが知っている。
しかし、インターネットは未だそれ自体が悪と言われることが多い。

これはつまり、使っていない人にとってネットがまだ未知の世界であり、自分の
理解を超えるものであるからだろう。
「悪いのはインターネットではなく、それを使っている人である」
これはネットをやる人にとっては周知の事実で、すでに陳腐とも言える台詞だが、
ネットをやらない人にとってはまだまだ現実味のない絵空事であるらしい。
ネットが車や携帯電話と同じくらい当たり前の世の中になれば、これもまた
当たり前の概念になってくれるはずなのだが、今はまだネットは彼(か)の
ガリレオと同じ運命を歩んでいると言えよう。

さて、私がなにを言いたいのかよくおわかりにならない方も多いと思うので、
ここで簡単にご説明しよう。
レマニは当初は「レ・ミゼラブル」という素晴らしい舞台を知らない人のために、
1人でも多くの人にこの世界に触れてもらえるようその魅力を伝える、という目的の
ために作られた。
これは作った私が言っているのだから間違いない(笑)。
しかし予想に反し、というか、レミゼの素晴らしさを知っているのに周りに理解者が
いないというファンが実に多かったため、レマニはレミゼの素晴らしさを語り合う
ためにファンが集う場所となった(こういう所がネットのいい所である)。
そして、一番強調したいのだが、これは今でも全く変わっていない。

やがてレマニはおかげさまでかなり多くのレミゼファンの方に訪れていただける場に
育った。しかし、そのために名前だけが一人歩きし、実体とは違う幻影が人々の
前を通り過ぎるようになってしまったようなのだ。

ミュージカル界という日本では比較的狭い世界の中で、さらに「レ・ミゼラブル」と
銘打ったサイトであるがために、インターネットにおけるレミゼファンの総称は
レマニとなり、挙げ句の果てにネットという未知のものへの畏怖が手伝って、
インターネット=レマニ=悪という恐ろしい図式まで現れ始めた。
これはつまり、インターネットの片隅で誰かが何かまずいことを書いたら、レマニが
悪いと言われているようなものである。もっとひどい場合には、どこにも何も書いて
いなくとも何かしらの会話の近くでレマニという言葉が出ただけで「レマニには
あんなことも書いてあるらしい。レマニは悪だ」と囁かれる。
こんな馬鹿な話があるだろうか。
でも今、現実にそんなことが起こっているのである。

相手を知らずして貶めることは、人間として恥ずべき事ではないのだろうか?
私は今回のことでふと中世の魔女裁判を思い出した。
自分の狭い許容範囲からはみ出たものに魔女という架空の烙印を押し、自分勝手な
理由で裁こうとしているのである。それは裁きではなく迫害である。
つまり我々レマニーズは図らずもレ・ミゼラブルの「迫害される人々」の世界を
体験することになったというわけだ。しかしいくらレミゼを愛しているからと
言って、好きこのんで迫害を体験したいという人はそうそういるまい。
しかも迫害する側は我々と同じ、レミゼの世界を愛しているはずの人々である。
彼らはレミゼの世界のいったい何を感じ取っているのか。悲しくなる。

私は最初からある信念を持って、道を踏み外すことのないよう細心の注意を払い
ながらレマニを作ってきた。
読んでさえいただければおわかりと思うが、レマニには根拠のない誹謗中傷はおろか
過激な表現もほとんどなく、あるのは熱い思いと冷静な批評だけだ。
役者さんのプライバシーに関わることも一切載せてはいないし、掲示板を利用して
くださる方にもそれは最初からお願いしてある。注意書きを読まずに書き込まれた
ものはチェックして削除するように心がけているし、魔女として祭り上げられる
ようなことは何一つしていない。
ましてや劇場で禁止されている事柄については、他の安易な考えのファンよりも
ずっと真剣に考え、検討してきたという自負もある。

私はなにより「レ・ミゼラブル」という舞台を愛しているからこそレマニを作った。
そして、レマニに集ってくださるみなさんもまた同じ気持ちであると信じている。
私たちは「レ・ミゼラブル」という舞台そのもの、そして関わっている全ての
人々にエールを送るためにレマニにいるのである。それなのに、なぜ新しいメディア
であるインターネットを利用しているというだけで魔女と呼ばれなければならないのか。

インターネットは確かにまだ生まれて間もないメディアであるが故に、使い方を
誤る人も中にはいる。しかしそれは決して道具のせいでも、また扱う人全てが悪い
わけでもないということを、改めてご理解いただきたい。
そして、ネットを利用する人全てがネットの特性と欠点を正しく理解し、より多くの
人により楽しく使われていくことを切に願っている。

    ----
    もし個人の感じた批評すら書くことなく、「素敵、最高」と
    褒めそやしてだけいれば、悪と言われずに済むのだろうか。
    そしてそうされることを役者さんたちは望んでいるのだろうか?
    だとしたら、我々の目は節穴なのかもしれない。
    ----

この記事はプリントアウト大歓迎です。ただし必ず全文をそのままの形で引用して
ください。文責はレマニ作者、関野美紀代です。

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