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レ・ミゼラブル あらすじと解説

Copyright (C) 1998 mii, Les Miserables Maniax
                                             序
法律と風習とによって、ある社会的処罰が存在し、聖なる運命を世間的因果によって紛叫せしむる間は、
即ち、下層階級による男の失墜、飢餓による女の堕落、暗黒による子供の萎縮、それら時代の三つの問題が
解決せられない間は、即ち、地上に無知と悲惨とがある間は、本書の毎き性質の書物も無益ではないだろう。    
1862年1月1日
        オートヴィルハウスにおいて      ヴィクトル・ユーゴー

第1部 ファンティーヌ
第1編 正しき人
 アルプス山脈をはさんでイタリアに近い、フランス南東の都市ディーニュに1806年から、
シャルル・フランソワ・ビヤンヴニュ・ミリエルというたいへん慈悲深い司教が、妹バチスチーヌ、
手伝いマグロアールと暮らしていた。《ディーニュにはシャルル・フランソワ・メルシオール・、
ビヤンヴニュ・ド・ミリオスという司教が実在した》

第2編 堕落 
 ブリー(パリ盆地東部の高原地帯)の百姓生まれで、父(ジャン・ボアラ・ジャン)母(ジャンヌ・
マティーユ)を早くに亡くし、ファヴロールで7人の子供を持つ姉の元で暮らし、植木屋の職人となる。
25才の時には、姉の亡き亭主の代わりに働いて生活を支える。植木の刈り込みの仕事は1日24スーで、
他に人夫や牛飼いもしたが、大変貧しく1795年の冬のある日モーベル・イザボーのパン屋のガラスを
割ってパンを盗んでしまう。(18世紀末パン1日分約1キロは5スー。肉体労働2.5時間分)
懲役5年の刑を受け1796年4月22日ツーロン港へ着く。囚人番号は24601号。後に姉は、
末の子供一人を連れてパリに出て、印刷所で働いているとの消息を知る。
 4年後の脱走で刑期を3年延ばし、6年目にまた5年、10年目に3年、13年目に3年延ばし、
19年の刑を受け、1815年10月に釈放される。19年の間にジャン・バルジャンは、社会や
人間に対して深い憎しみを抱くようになっていた。《徒刑場は1854年に廃止され、流刑に代わる》
 1815年10月初め、南の方(ツーロンを暗示している)からやってきた男が、通行証の提示のために
 ディーニュ市役所を訪れた。《スパイ活動防止の為に革命政府より義務づけられていた。特に徒刑囚は
 黄色のパスポートを一週間毎に役所に提示しなければならなかった》パスポートにはジヤン・バルジャン
 釈放された徒刑囚。窃盗の罪のため5年服役、脱獄未遂4回の罪で14年。非常に危険な人物。と
 書かれてあった。《ユゴーは犯罪者の更生を妨げる元凶は、法律と風習が作り出す社会的処罰であると
 主張していた》
旅の途中で荷下しの手伝いをしたときも、黄色のパスポートによって賃金をカットされたり、宿屋でも
宿泊を拒否された末に司教の家のドアをたたいた。「私の名はジャン・バルジャン。4日前にツーロンを
釈放されポンタルリエに向かう途中です。109フラン15スー(約11万円)持っています。
今晩泊めていただきたいのです。」ミリエル司教は「ここはキリストの家です」とジャン・バルジャンを
招き入れ、銀の食器で夕食を出した。(ミリエル司教は聖職に就く前は妻を持ち、裕福な暮らしをして
いたので、妻の思い出と共に銀食器を使う贅沢な習慣を捨てられなかったらしい)
 午前2時ジャン・バルジャンは、ベッドが上等すぎて目を覚ました。あの銀食器は200フランには
なる。10年の稼ぎの二倍だ。迷い続け、意を決し食器棚へと向かった。司教の床を通り過ぎるとき、
雲の切れ間から月の光が司教の顔に射し込んで、ミリエルは神々しく輝いた。一瞬怖じ気づいたが、
夜の明けぬうちに食器を盗むと逃げた。翌朝マグロアールの叫びに対し、司教は「あれは貧しい者達の
ものです」と答え木の食器で朝食をとった。憲兵に捕らえられたバルジャンが来ると「銀の燭台も
さしあげたのに。この銀器を役立てて誠実な人間になるとやくそくしてください。私は貴方の魂を買って
神に捧げましょう」と言った。ジャン・バルジャンは身体がふるえ、気絶しそうだった。
《ジャン・バルジャンは徒刑場のカンテラを持っていたが、ここより光を運ぶ道具がミリエル司教の燭台に
代わり、憎しみから慈愛への変化を表し、光と闇のテーマを象徴的に表現している》
 ジャン・バルジャンは動揺して町を出た。野原で小銭をお手玉にして遊ぶ少年プチ=ジェルヴェの手から
ころがり落ちた40スーを取り上げると、少年を追い払った。しかし夜になって銀貨に気づくと
「とり返しのつかないことをした。俺は最低(ミゼラブル)だ」と泣いた。明け方に司教の家の前に
膝間づく男を見かけたあと、男の行方は誰もわからなかった。

第3編 1817年のこと
 モントルイユ=シュール=メール生まれ。父母不明。10才で町を出で百姓の家で働き、15才の時
お針子の女工としてパリに出る。当時第二次王政復古で、学歴が重要視されるようになりパリの学生街
カルチェ・ラタンでは地方から上京してきた学生たちは、女工(グリゼット)を恋人にして青春を謳歌
していた。ファンティーヌもフェリックス=トロミエスという30才で金持ちの古参学生と恋におちた。
夏休みの日曜に彼らの仲間達とサン=クルーへピクニックに行ったが、シャンゼリゼの料理店で、彼女達は
男達から別れを告げられた。《中産階級以上の出身の彼等が、下層階級のグリゼットと結婚するのは、
不可能に近かった》
ファンティーヌは、トロミエスの子を出産していた。女の子で名をユーフラジー(通称コゼット)と
いった。1818年春、仕事に就けなくなり暮らしに困ったファンティーヌ(22才)は、持ち物を
売り払い借金を返し、残った80フランを持ってパリを出、故郷に向った。

第4編 委託は時に放棄となる
 パリ北東20キロのモンフェルメイユにテナルディエの安料理屋兼宿屋はあった。
宿屋の前で遊ぶ二人の女の子(エポニーヌ2才半、アゼルマ1才半)を眺めていたファンティーヌは、
女の子の母親に事情を話して、娘コゼットを預かってもらえないかと頼んでみた。主人は手付金15フラン
と1ケ月7フランの半年前払い、着替えの服を条件にコゼットを預かることにした。
テナルディエはファンティーヌからまきあげた57フランで宿の差押えを免れ、翌月には服を売って
60フランに替えた。金が無くなればコゼットは女中扱いで、ぶたれたり、娘達からも意地悪をされ、
やせこけて、いつもおどおどしていた。《児童虐待の問題提議》

第5編 下降
 1815年12月にモントレイユ=シュール=メールの役場が火事になったとき、ちょうど町にやって
来た50才程の男が、火の中に飛び込んで憲兵隊長の子供を助け出した。書類は焼け、憲兵隊長は彼の
通行証を調べなかった。
この男は、特産品の黒いガラス玉の新しい製造法を発明し、工場は急成長した。町も潤い、彼も財産を
持った(ラフィット銀行に63万フランの預金)マドレーヌ氏と呼ばれるこの男は、1820年に国王の
任命により市長職を引き受けることになった。《ユゴーはサンシモン主義(産業の発展でブルジョワ階級の
繁栄と労働者階級の福祉が得られる)の社会観を持っていたため、更生したジャン・バルジャンが
キリスト教の伝導者でなく社会事業家に変身させて魂と社会の救済を説こうとした》
 ある朝、雨にぬかるんだ通りで馬車が倒れ、フォーシュルヴァンが下敷きになっていたところへ
マドレーヌ氏が通りかかる。荷車はじりじりと地面にくいこみ、老人を押しつぶしていった。人々がだれも
助けられないでいる中をマドレーヌ氏は車を持ち上げてフォーシュルバンを助けた。彼は、マドレーヌ氏を
「神様」と呼んだ。フォーシュルヴァンは膝関節をけがしたので、マドレーヌ氏はパリの
サン・タントアーヌ女修道院の庭師の仕事を世話してやった。このマドレーヌ氏の力強さに強烈な印象を
持ってみる男がいた。南仏の徒刑場勤務から今や警部となったジャベールである。

第6編 ジャべール
  ジャベールは刑務所の中で女占い師と徒刑囚の子として生まれ、階級に対する憎しみを持って大きく
  なった。権力を尊敬し、反抗を憎む性質の彼は、権力を求めて警察に入り、ツーロンの副看守から
  モントルイユ=シュール=メールの警部になる。いつも鋭い目つきで見張り、取締り、人のことを
  探っていた。《脱獄した徒刑囚で後に公安警察長となったヴィドックという男をユゴーはジャベールの
  モデルとしているが、ジャン・バルジャンのモデルにもなっていることから、この二人の男はもともと
  同じものの表裏ともいえる》

第5編 下降
 1818年ファンティーヌはモントルイユ=シュール=メールに戻るとマドレーヌ氏の工場で働くように
なる。子どものことは内緒にしておいたが、テナルディエへの手紙から知られることとなってしまった。
噂を知った女子作業場の監督から1819年の冬のある日突然解雇を言い渡されたファンティーヌは、
お針子の仕事をするしかなかった。稼ぎは少なくなっていく。
テナルディエからはスカート代10フランを請求されたので、床屋でブロンドの髪を売るとスカートを
買って送ってやった。テナルディエが欲しかったのは、スカートではなく金だったので、ひどく怒って
スカートをエポニーヌにやってしまった。またコゼットの病気の為に薬代40フランを請求されると、
インチキ歯医者に前歯を売り40フランを作った。しかしその次には100フランとエスカレートした
ために、ファンティーヌは娼婦に身を落とした。身も心もボロボロになったファンティーヌは、工場を
追い出したマドレーヌ氏を憎んだ。
 1823年1月の雪の晩、洒落男のバマタボワが娼婦をからかって、その背中に雪を押し込んだ。
彼女は大声でわめき、男に飛びかかり爪を立てた。人だかりの中にジャベール警部が入り、
ファンティーヌに6ケ月の刑を言い渡して連行した。「子どもを預けている人に送金しなければ
ならないので牢屋に入れないで」と懇願するのをしばらく後ろで聞いていたマドレーヌ氏は、釈放して
やるように、ジャベールに言った。
市長に異常に反応したファンティーヌは、唾を吐きかけ市長をなじったが、マドレーヌ市長は自分の
無知が彼女を不幸にしたと侘び、子どもを呼び寄せて幸せに暮らすように約束をした。ファンティーヌは
夢のようで市長の前に膝間づいたが、背中に入れられた雪が胸の病に災いして倒れてしまった。
マドレーヌ氏はファンティーヌを病舎に入院させ、サンプリスとペルペチューの二人の修道女に
看護させた。マドレーヌ氏はファンティーヌの身の上を調べると、テナルディエに滞納分の300フランを
送金しコゼットをモントルイユ=シュール=メールに連れてくるように頼んだが、金づるができたと
コゼットを手放さなかった。ファンティーヌの具合は悪くなる一方だった。

第7編 シャンマチュー事件
 マドレーヌ市長が役所で仕事をしていると、ジャベール警部が来て言った。「私は貴方がある男に
似ているとずっと思っていました。8年前から行方が解らないのですが、プチ・ジェルヴェの件で今も
捜査中です。貴方のことをジャン・バルジャンだと思いこんで、パリ警視庁へ告発したのですが、
シャンマチューという老人がリンゴを盗んで捕まり、ジャン・バルジャンであることが判明したのです。
明日の晩に判決が下るので、あなたにお侘びに来たのです。」マドレーヌ氏はジャベールを下げさせると
長いこと考えこんでいた。まずシャンマチューを牢屋から出さなければならないと考えた。しかし
身代りがいれば自分が助かると思った。ゾッとした。偽の男を助けることで私は神に帰れる。だが
ファンティーヌは…コゼットは…市民達は…? 馬車を予約してマドレーヌ氏はアラスの町の裁判所に
向かった。
 二人の憲兵にはさまれて座るシャンマチューは顔が似ているわけではなかったが、人間への憎しみで
一杯だった昔の自分によく似ていた。
裁判の続く中、傍聴人席から突然立ち上がり「皆さんが探している人物は、私だ。私がジャンバルジャンだ」
事実を語り尽くし、マドレーヌ氏がジャン・バルジャンであることは明白になったので、起訴を取りやめ
シャンマチューは釈放された。

第8編 反撃
 明け方マドレーヌ氏がファンティーヌに会っていると、満足感にあふれたジャベールが来た。
ファンティーヌはジャベールが自分を捕らえに来たのだと思い、助けてと叫んだが、襟首を捕まえられた
のは市長だったので、更に驚いてガクリと倒れた。彼女は死んでいた。この人の子供を迎えにいく間の
3日の猶予を頼んだがジャベールは承知せず市の牢屋に繋いだジャン・バルジャンは次の夜、窓の格子を
壊して逃げた。サンプリス修道女にファンティーヌの埋葬と財産の処分を頼み、銀の燭台を包むと
モントレイユ=シュール=メールを去って行った。ファンティーヌの遺体は、共同墓地に投げ込まれた。

第2部 コゼット
第2編 軍艦オリオン
 マドレーヌ市長がいなくなると、モントルイユ=シュール=メールの町では、人々が自分の事しか
考えなくなり、信頼と協力から憎悪と争いに代わっていった。ガラス玉の品質も悪くなり注文が減ると、
工場は破産した。
 ジャン・バルジャンは1823年7月、プチ・ジェルヴェの件で再び捕まりツーロンの徒刑場に送られて
いた(囚人番号9430号)。11月、修理の為に港にあった軍艦オリオン号に帆を張っていた水夫が足を
踏み外して落ち、途中の網に吊り下がった。大変危険なところを囚人服の男がマストを登って助けた。
しかし、その囚人が海に落ち捜索したが見つからなかった。翌日の新聞に水夫を助けて溺死した囚人
ジャン・バルジャンの名前が載っていた。《ジャン・バルジャンは都合6回の脱獄を行っているが、
モデルとなったヴィドックも6回脱獄し、オリオン号からの脱獄も酷似している》
ジャン・バルジャンは水の中を潜ってブラン岬の海岸まで泳ぎ着き、パリにでるとラフィット銀行から
60万フランを引き出して、子供用の喪服を買い、オピタル大通りのフォーブル=サン・マルソーに家を
借り、モンフェルメイユに向かった。そしてモンフェルメイユ近くの森に金と銀の燭台を埋めておいた。

第1編 ワーテルロー
  1815年6月18日、イギリス軍はモン・サン・ジャン高地に陣を構えていた。ナポレオン軍が突破
  しようと登ったが、オーアンの窪道にはまったことが敗戦のきっかけとなり、ナポレオン軍は英・蘭
  連合軍に完敗した。このワーテルローの戦場にテナルディエという男がうろつき、死体の中から
  金の指輪や金目の物を盗っていた。一人の将校の時計や財布を探っていたとき、将校は目を覚まし
  命を助けられたと思い礼を言った。
「ありがとう、私の名はポンメルシー」テナルディエはメルシー、メルシーと聞き違え、礼よりも名前が
聞きたかったのにと思った。

第3編 死者への約束の履行
 テナルディエは戦いが終わると、モンフェルメイユに宿屋を開き、武勇伝を語ったり、ずる賢い知恵と
おしゃべりを使って客からうまく金を巻き上げていた。しかし1500フランもの借金をかかえていた。
モンフェルメイユの村はリヴリとシェルの間、街道からはずれた高台にあったので、水の出が悪く、水が
無くなれば、暗い中でも泉まで汲みに行かなければならなかった。
 1823年のクリスマスの夜、モンフェルメイユはパリから来た香具師達が出店を並べ、賑やかだった。
テナルディエの宿でも客が多く水桶の水が少なくなっていた。40才位になるテナルディエ夫人は、
コゼットに水くみを指図し帰りにはパンを買ってくるようにと15スーを渡しドアから追い出した。
露店のおもちゃや人形は光輝き、まるでお城の様に思えた。
暗闇の中を泉につくと、コゼットは夢中で水を汲んだので、ポケットから15スーの落ちたのにも
気づかなかった。桶は重く、濡れた手足は冷たく、恐怖感にふるえながら少しずつ歩いていると、急に桶が
軽くなった。とても大きい手が桶の柄をつかんで一緒に歩いていた。
 パリからやって来たその男は、娘の名を聞くと大変驚いてコゼットを見つめた。
宿屋に着くと、人形にちらりと目をやってから中へ入った。「女将さん、お客さんです」夫人は客を中へ
いれた。「パンはどうしたんだい。ないなら15スー返しな」お金は無かった。鞭でたたこうとした時
男が20スーを差し出した。
 コゼットは食堂の隅でサーベルにぼろ布を巻いて人形遊びをしたが、エポニーヌとアゼルマが放り出した
人形を見つけるとサッと引き寄せて抱いた。やがてエポニーヌにみつかって、テナルディエ夫人にひどく
怒られた。男は店を出ると露店からあの素晴しい人形を買ってくると、コゼットにあげた。店にいた者達は
皆呆気にとられていた。テナルディエはこの男を金持ちとふんで下手に出た。エポニーヌとアゼルマが
うらやましそうに眺め、テナルディエ夫人ははらわたの煮えくり返る思いで「コゼットをたたき出して
やる!」と亭主に言った。コゼットは人形にカトリーヌと名前をつけ大切に抱いて寝た。
 翌朝テナルディエは23フランの法外な勘定書きを作り上げた(通常料金の20倍近い金額)夫人が
あのチビには金がかかると言うので、「では私が連れて行こう」と勘定を払うと、主人がどんなにあの娘を
かわいがったか、いなくなったらどんなに淋しいか、を切々と語った。でも1500フランなら…と言って
みたところ、男は1500フランを置くと、コゼットに持ってきた黒い服を着せ、人形をかかえさせて
モンフェルメイユを出て行った。《それまで一度も愛情に接したことのなかったコゼットにとって、
ジャン・バルジャンとの出逢いは、ちょうどジャンがミリエル司教に逢ったのと同じ効果があった》

第4編 ゴルボー屋敷
 コゼットを救い出してから馬車でパリに戻った二人は、52番地のゴルボー屋敷(パリ市南部で、工場、
病院、刑務所等の施設が多く下層階級が多い地域)に住んだ。
みすぼらしい屋敷でも、コゼットは彼を「お父さん」と呼び、歌や字の読み方やお祈りを覚え幸せに
過した。昼間は決して外出せず、日没頃にサン・メダール教会の辺りを散歩をした。
 数週間後、屋敷に人の足音がした。教会のそばの乞食がある日、見覚えのあるあのジャベールに見えた
瞬間、恐ろしい思いだった。実際この乞食は警察のタレコミ屋でジャベールにジャン・バルジャンのことを
報告し、入れ替った処をバルジャンに見られたのである。ジャベールは新聞で、モンフェルメイユの
不思議な子供誘拐の記事を読み、その名前から、誘拐犯がジャン・バルジャンであると確信して、捜査を
パリに移していた。

第5編 暗がりの追跡に無言の一組   第6編 プチ・ピクピュス   第7編 余談
第8編 墓地は与えらるるものを受納す
 ジャン・バルジャンはコゼットを連れてゴルボー屋敷を逃げ、オーステルリッツ橋へと来た。あとを追う
ジャベールの姿を見ると大急ぎで走り、プチ=ピクピュス街62番地(現在のリヨン駅付近の創作の街区)
の角に隠れた。3メートル程の壁を乗り越え広い庭に入ったところ、人影が「マドレーヌ市長!」と
呼び止められた。それはフォーシュルヴァンだった。馬車の事故の後で庭師の仕事を与えられて以来ずっと
ここ、プチピクピュス修道院で働いていた。市長への恩返しに、身を隠す方法を策した。ちょうどその晩に
修道女が亡くなったのを利用して棺桶のなかに入って一旦外に出、フォーシュルヴァンの弟として修道院の
仕事を手伝うことにした。翌朝早く修道院の院長の面会を受け、1824年1月のこの日より
ジャン・バルジャンは、ユルティム・フォーシュルヴァンとなり孤島の様な修道院で穏やかな生活が
始まった。コゼットは修道女の教えを受け、以降1829年10月にここを出るまでの5年半の間、
汚れなく静かな生活を送ることは、大きな愛情と信仰を形作るのである。

第3部  マリウス
第7編 パトロン・ミネット
 ジャン・バルジャンが修道院に入った頃から8年ほど過ぎた頃、1830年から1835年にかけて
パリのどん底社会を支配していたのはパトロン・ミネット(夜明けの意)と呼ばれる四人(クラクズー、
グルメール、バベ、モンパルナス)だった。
グルメールは40才足らずで、ヘラクレスのような大男。バベは小柄で痩せ方。クラクズーは二色の
声を操り、幻のように現れる男。モンパルナスは20才前で、浮浪少年から強盗に変じた男で、女ぽく
しなやかで且つ獰猛だった。彼らには、ブルジョンら多くの手下がいた。

第1編 パリの微分子
 1830年頃のパリには、浮浪少年があふれていた。タンプル大通りには、ガヴローシュという名の
11、2才の浮浪児がいた。彼にはゴルボー屋敷に住むジョンドレットと名乗る両親がいたが、幼い頃から
まったく愛されなかったので、家を出たのだった。
ジョンドレット一家の隣にはマリウスという青年が部屋を借りていた。

第2編 大市民   第3編 祖父と孫
  マリウスはマレー地区(16.7世紀に全盛を誇った由緒ある界隈)のフィュ・デュ・カルヴェール街
6番地に祖父のジルノルマン氏と叔母とともに住んでいた。ジルノルマン氏は二度の結婚で一人ずつの
娘を持ったが、上の娘は結婚せず下の娘はジョルジュ・ポンメルシーという兵士と結婚し息子マリウスを
生むと30才で亡くなってしまった。
ジョルジュ・ポンメルシーは、オーステルリッツの戦いで勲章をもらい、ワーテルローでは大佐として敵の
軍旗をうばう勇名をはせたが、敵に切りつけられ、テナルディエに発見されることになるのである。戦いの
後共和派のジョルジュと王党派のジルノルマン氏は、そりが合わずにマリウスをジルノルマン氏に渡して、
一人ヴェルノンで暮らすことになる。ジルノルマン氏はマリウスをかわいがったが父の話をしようとは
しなかった。厳格で熱狂的な王党派の祖父を不快に思いながら、マリウスは勉強をし、17才で法律学校に
入学した。《マリウスは若き日のユゴー自身であり、王党主義的。父ポンメルシー大佐もユゴーの父
レオポル・ユゴー将軍をモデルにしている。ユゴー自身も父母の性格の不一致の為に別れて暮らし、
王党派の母の死後に父と和解し次第にナポレオン賛美者へと変化していく》
 1827年マリウス17才の時父が病気で会いたがっていると聞き、ヴェルノンに発ったが父はすでに
死に、手紙が残されていた。「ワーテルローで授かった男爵の爵位を受け継ぐこと、命の恩人テナルディエに
会ったら礼を尽くすこと」マリウスは父の死にもさしたる感動もうけなかった。日曜日にマリウスは
サン・シュルピス教会のミサに行き、管理人のマブーフからある男の話を聞き大変なショックを受けた。
政治上の意見の違いから息子と引き離された哀れな父親が、息子がミサに来る時はいつも、この柱の陰から
見つめていたという。その父親の名こそポンメルシーであった。
その日よりマリウスは、共和国・帝政の歴史を調べ、将軍達からポンメルシー大佐の高い志と優しい心の
話を聞き次第に父を崇拝するようになった。共和派に傾くことはすなわち祖父に反発することであり、
ジルノルマン氏と衝突したマリウスはついに、氏の家を出て、カルチェ=ラタンに行く。

第4編 ABCの友
 ある日の午後、同じ法学部の学生のレーグル・ド・モーに声をかけられたマリウスは、同志
クールフェラックの住むホテルを紹介され、隣の部屋を借りる。数日後クールフェラックはマリウスを
ABC友の会に連れて行った。時代の動きにより、学生たちのグループはABC友の会という結社を作り、
中央市場のコラント酒場やサン・ミシェル広場のカフェ・ミュザンに集まっては弱者救済や自由について
討論を交わしていた。マリウスも例会に出席するようになった。
(ABCとはAbaisse=民衆の意味のもじり)

ABCの友 アンジョルラス    22歳、富裕な一人息子。天使のような美青年。
                   革命の論理(争い)代表。正義の人
        コンブフェール    雄弁で優しい指導者。革命の哲学(平和)代表で、                                             アンジョルラスを補佐。人間的、賢人。
          ジャン=プルヴェール 情緒深く、星座に想いをはせる心優しいロマン主義者
                          金持ちの一人息子。博学。内気。  
         フィィ        孤児で独学で知識を得た扇子職人。世界の解放を願う
                       深い洞察力、寛大で抱擁力がある。
          クールフェラック   貴族出身。奇想でグループに活気を与える中心人物。
                         情熱家。  
        バオレル       いつも機嫌良く、笑いを与える。暴動好き
        レーグル=ド=モー  25歳なのにすっかり禿上がっている。法律を学ぶ学                                                    生で、運が悪いがいつも平気で笑ってすましている。
                  投機で家を失い、ジョリの家によく泊まっている。
        ジョリ        23歳、医学生。神経で病む性格のわりに快活。
         グランテール     懐疑派の大酒飲み。革命の理想は信じないが、唯一
                    アンジョルラスだけを熱烈に賛美し、愛し尊敬した。
                                  アンジョルラスの背面でもある。
第5編 傑出せる不幸                                                            
 マリウスはお金がわずかになった為、ホテルを出るとゴルボー屋敷に移り、クールフェラックの紹介で
雑誌の翻訳や広告文の仕事をした。貧乏ではあったが、借金はせず食費や房を削って生活した。やがて
弁護士の資格を得たが出版社の仕事を続けた。仕事の合間にテナルディエを探してモンフェルメイユまで
行ったが、宿は破産して彼の行方はつかめなかた。

第6編 両星の会交
 1829年8月フォーシュルヴァンが亡くなったのを機会に、コゼットの人生のこと考えて、
ジャン・バルジャンはユルティムの名前で、ウエスト街、ロ・マルメ街、プリュメ街に家を借り、
ウエスト街の家に住み、リュクサンブール公園への散歩を日課としていた。
 1830年、20才になったマリウスはリュクサンブール公園の人通りの少ない小道に、白髪の老人と
黒服の娘の姿を目にした。彼は老人にルブラン氏(色白)とあだ名をつけた。半年ほど経つと、
13.4才の娘は以前の痩せた姿から、美しい女性に成長していた。 マリウスがベンチの脇を
通りかかると、娘と視線があった。翌日からは新しい服でベンチの前を往復したり、本を読むふりをして
娘を眺めた。狂いそうなほどの恋心だった。
1ケ月後、彼女も微笑みを浮かべて熱い視線を返した。コゼットは青年と目があったとき、心が乱れた。
毎日の散歩が待ち遠しくなったが、父に悟られないように落ち着きを装った。
父親もマリウスの存在に気づいた様だった。二人の後をつけて、ウエスト街の質素な家を見つけたが、
突然二人は公園に来るのを止め、家も引っ越してしまった。
ジャン・バルジャンは、今ようやくコゼットといられる幸せを得たのに、青年がきてコゼットが取り上げら
れる想いで、忘れていた悪意や憎悪が戻るのを感じていた。そして公園に行くのを止め、プリュメ街に
移った。コゼットは不平を言わなかったが淋しそうだった。

第8編 邪悪なる貧民
 半年が過ぎ、マリウスは孤独にうちひしがれて冬を迎えた。ゴルボー屋敷にはマリウスとジョンドレット
の一家だけが住んでいた。ある日隣の娘がマリウスの部屋に来て、空腹を訴えたので5フランを与えた。
この壁の向こうにも惨めな生活があることを知ると、隣が気になって、壁の漆喰の隙間からのぞき見した。
サン・ジャック教会に来る慈悲深い男にお恵みを頼みに行った娘が帰ってきた。続いてやって来た
二人連れを見てマリウスは目を疑った。公園からいなくなったあの彼女だった。ジョンドレットは慈善家に
60フランを頼んだが、持ち合わせがないので、今晩6時に来ると言って帰った。妙な顔をして
ジョンドレットは慈善家を見ていた。
 慈善家のあとをマリウスは追ったが、馬車には追いつけなかった。マリウスはジョンドレットの
娘エポニーヌに、「何でもあげるから、彼らの住所をつきとめてほしい」と頼んだ。エポニーヌは
マリウスの関心がどこにあるのかを見抜いていた。
ジョンドレットが、8年前のあいつに間違いないと夫人に告げると、夫人は自分の娘がみすぼらしい格好
なのに、あの小娘が貴婦人のようなので腹がたった。二人は仲間のパトロン・ミネットを呼んで、悪事を
企んだ。恐ろしい罠が仕掛けられているのを察したマリウスは、警察に行き、警部ジャベールに警護を
頼んだ。逮捕の合図用にピストルを渡すとジャベールは家の外から見張っていた。
 6時にルブラン氏が来ると、ジョンドレットは初め下手にでていたが、突然「このオレが判るかい!
テナルディエだ!」と怒鳴った。ルブラン氏は罠に落ちたのがわかった。
その名を聞いてマリウスは呆然とした。父の恩人が悪漢だったとは…!彼女の父親を見殺しにするか、
父の恩人を捨てるか、まったく手出しができなかった。テナルディエはルブラン氏を縛り、20万フランを
要求した。小一時間してルブラン氏は縄を切り、悪漢達と格闘になった。マリウスのピストルを待ちきれず
に屋敷に入ったジャベールたち警官が、悪漢をとりおさえる騒ぎの中をルブラン氏は姿を消した。

第四部 プリュメ街の牧歌とサン=ドニ通りの叙事詩
第1編 歴史の数ページ
 1831年、32年は七月革命に直接関係のある年であった。ルイ・フィリップの政府はすぐに困難に
陥り、反政府運動があちこちで起きていた。アンジョルラスもABCの友らと秘密の調査を行った。

第2編 エポニーヌ   第3編 プリュメ街の家   第4編 地より来る天の救い
第5編 首尾の相違
 1831年の秋の朝、散歩の時に二人は、徒刑場に送られる囚人の馬車の列に出逢った。コゼットは、
初めて見る光景に恐怖の念を抱いた。
 マリウスはゴルボー屋敷が恐しくなり、クールフェラックの所に引越していた。
コブラン川の土手で物思いにふけっていると、エポニーヌが「6週間も貴方を探したわあ
の娘の家を探したら、欲しいものをくれるって約束したわね」と声をかけ、プリュメ街へと手を引いて
行った。マリウスは5フランを渡したが、「金が欲しいんじゃない!」と言った。
4月のある日留守番をしていたコゼットは、プリュメ街の屋敷の庭先に人影を見かけ、柵のそばのベンチに
手紙を見つけた。「宇宙をただ一人に縮小し、ただ一人を神にまで拡大すること。それが愛だ。愛が始めた
ことを完成できるのは、神だけだ。人を愛する者がいなくなったら、太陽は消えるだろう」コゼットには、
あの人だとすぐわかった。
  LIVRE  Vine DONT  LA  FIN
  NE  RESSEMBLE  PAS  AU  COMMENCEMENT

第6編 少年ガブローシュ
 ガブローシュは、テナルディエ夫婦が厄介払いした末の二人の子供を、弟と知らずに助け、バスティーユ
広場に作られていた巨象(ナポレオンが作らせていた木造の記念物)をねぐらとしていた。あの2月3日の
夜からフォルス刑務所(マレ地区)の牢屋に入っていたテナルディエ一味は、ブリジョンを中心に脱獄の
計画を練り、ガブローシュの助けを借りて決行した。

第7編 隠語

第8編 歓喜と憂苦
 5月父の留守の夜、コゼットは髪を結い、ドレスを着て庭へ出た。背後に初めて声をいた。二人は切ない
胸の内を語り合い、最後に名を尋ねあった。《マリウスとコゼットのはユゴーとアデール・フーシェの恋を
ほぼそのままなぞっている。ユゴーとアデールの愛誓いも1819年4月26日と物語と同じ季節である。》 
 1832年6月3日いつものようにプリュメ街に向かうマリウスのあとを、エポニーヌはついて行って
門の影でじっとしていた。ジャン・バルジャンもばあやのトゥサンも早く床についていた。夜10時頃
6人の男(クラクズー、グルメール、バベ、モンパルナス、ブリジョン、テナルデイェ)が屋敷に
忍び込もうとやって来た。「ここは無駄だよ、貧乏人さ。大声を出して巡査を呼ぶよ!」とエポニーヌが
現れ、6人の盗賊は退散した。
 マリウスとコゼットの間では、悲痛な会話が交わされていた。テナルディエがうろついているのを
見かけたジャン・バルジャンは、政治的にも不穏なパリを離れ、フランスさえも出てイギリスに渡ろうと
考えていた。しかしパスポートをどうやって手にいれるのかが問題だった。父から、イギリスに行くから
準備をするように言われていたコゼットは、その夜マリウスに一緒にきて欲しいと頼んだが、マリウスには
お金がなかった。あさっての9時に来ることを告げて、住所はヴェルリ街16番地のクールフェラックの
所だと教えて、家に戻った。
 翌日ジルノルマン氏(91才)を訪ねたマリウスは、結婚の許しを乞うた。《当時ナポレオン法典に
より、25才になるまでの結婚は、両親の同意が必要だった》
ジルノルマン氏は「21才で結婚などと断じて許さん」と心とは裏腹の言葉で、マリウスを帰した。
この日ジャン・バルジャンはコゼットと女中のトゥサンを連れてロ・マルメ通りの家に移っていた。
《この頃のユゴーの描写にはコゼットへの愛情よりも、エポニーヌのマリウスに対する純情が強調されて
いる。というのも、妻アデールの裏切りにあい、娘レオポルディーヌの面影をコゼットに写しているため、
ユゴー自身の立場がマリウスではなくジャン・バルジャンの方に近くなり、マリウスに嫉妬する父親に
表れている。一方エポニーヌは自分の多くの愛人の姿の合成人物として描いた為、とても魅力的な女性と
して書かれた》

第9編 彼らはどこへ行く  第10編 1832年6月5日   第11編 原子と暴風
 ナポレオン軍の将軍で共和派の政治家として人望を集めていたラマルク将軍(1770〜1832)が
過労(一説ではコレラ)で亡くなったのをきっかけに、暴動の合い言葉が交わされ、共和派の人々が
武装して葬列に加わった。6月5日の葬列はバスティーユ広場を通り過ぎ、オーステルリッツ橋の広場で
ラファイエットが弔辞を述べていた。赤旗を持った男が群衆の中から現れ竜騎兵と群衆は衝突し、こうして
6月5日の暴動が始まった。
《一党派に対する全体の戦いを反乱、全体に対する一党派の戦いを暴動と位置づけ、反乱の後には前進が
あり、暴動の後には何も残らない、とユゴーは規定している》
 1時間も経たぬうちにパリのあちこちにバリケードが築かれた。ガヴローシュはサンジャック広場で
ABCの友の一団と合流し、サンメリー寺院の方へ進んだ。ビュレット広場でごま塩頭の大柄な男が
合流した。

第12編 コラント
 隊列はサンメリーを通り越し、サン・ドゥニ街へ入った。そこにはアンジョルラスらのたまり場の
コラントのブドウ亭という酒場があり、その日もレーグル、ジョリ、グランテールが来ていた。表を覗いた
グランテールは、ここにバリケードを築けばいいと薦めた。《レーグルは何をやってもダメで、ジョリーは
気に病み、グランテールは革命運動よりも酒と議論を好み、活動分子的とはいえなかった。特に
グランテールは自分にはない絶対的精神のもちぬしのアンジョルラスを崇拝するだけだった。
グランテールはユゴー自身の気持ちの代弁者でもある》道路の敷石や壁や梁がはがされ、乗合馬車を
倒して、人の背丈以上のバリケードが築かれた。内側には約50人の労働者達がたてこもり、酒場の
調理場では、スプーンやフォークを鍋で溶かして弾丸を作った。マテロット、ジブロット二人の女性は、
古雑巾を裂いて包帯を作り、ガヴロシュはバリケードを飛び回ってみんなを元気づけた。《バリケードで
抵抗を長引かせることによって、敵の軍隊の寝返りや大衆の蜂起を待つことで、うまくいけば革命にも
なるし、だめなら暴動に終わるという状況》
 シャンブルリ街のバリケードには2メートルほどの高さで、赤旗がひるがえっていた。《1789年の
フランス革命の時にラファイエットがパリ市の色である赤青の間にブルボン家の色である白を加え、
国民軍の帽章にしたのがトリコロールの初めであるが、正式に国旗として採用されたのは1790年。
1814年〜30年の王政復古時代には使用が中止され、七月革命で復活した。赤旗は、フランス王家が
12世紀より用いていた。》
バリケードに見張りを就けて、彼らはじっと蜂起を待ちながら、時にはプルヴェールの感傷的な歌に
聞き入ったりしていたが、遠くで時折銃声が聞こえるだけで、6万の軍隊が来る様子はなく静かだった。
ガヴローシュはごま塩頭の男を気になって、自分の目を疑った。「警察のイヌだ!」アンジョルラスに
密偵だと告げると、外の様子を偵察しに出て行った。アンジョルラスが男に何物かを聞き、身分証の
「ジャベール警部52才」を確かめると両腕を縛り上げた。

第13編 マリウス闇の中に入る
 マリウスは絶望の思いでバリケード近くまで来たが、迷いが生じて中に入るのを躊躇していた。
「愛よ光輝け!愛は未来のものだ。私は死の力を借りようが、心では死を憎む。諸君!未来では人は
殺しあいを止め、大地は光輝き、人類は愛し合うだろう。全てが和合し、喜びと生命にあふれる日のために、
我々は今死のうとしているのだ!」アンジョルラスが不意に話し出し、コンブフェールが「君と運命を
共にしよう!」と叫んだ。アンジョルラスの「フランス革命!」の言葉と共に一斉射撃が始まった。

第14編 絶望の壮観   第15編 オンム・アルメ街
 至近距離からの撃ち合いとなり、ジャンプルヴェールが敵の捕虜となり銃殺された。マリウスに
向けられた銃口を遮った人影があった。エポニーヌだった。マリウスがエポニーヌを抱えるとかすれる声で
話した。「貴方に抱かれて先に死ねるなんて幸せだわ。貴方があの庭に出かけるので、ずっと嫉妬して
いたの。ポケットにあの娘からの手紙があるわ。本当は渡したくなかったけど後で読んでね」マリウスは
有り難うとうなずいた。「ご褒美に約束して。私が死んだら額にキスをして。私は貴方が好きでした。」
エポニーヌは息を引き取り、マリウスは約束を守った。それは、不幸な娘への想いを込めた優しい別れ
だった。
 手紙はコゼットがイギリスへ行く事。今夜は、ロ・マルメ街にいるということだった。
マリウスは自分の手帳を破き「僕は死ぬことになるが、君がこの手紙を読む頃、僕の魂は君のそばに
いるだろう」と書くとガヴローシュにロ・マルメ街7番地のフォーシュルヴァン嬢に届けるように頼んだ。
ガヴローシュは屋敷の前で老人に手紙を渡し、歌を歌いながら、バリケードへ戻った。
手紙を読んだジャン・バルジャンは、男が死ねば邪魔がいなくなり、またコゼットと二人になれると胸を
なで下ろした。《コゼットへの愛は、愛情というよりむしろ本能に近く、コゼットを失うことは、
ジャン・バルジャンにとっては死に等しい》しかし何か暗い気持におそわれた彼は、国民軍の服を着て、
中央市場のバリケードの方へ歩いて行った。

第5部  ジャン・バルジャン
第1編 市街戦
 最初の銃撃の後、偵察から戻ったアンジョルラスが皆に言った。「民衆は静まりかえっている。今日は
応援は来ないだろう。我々は見捨てられた。このバリケードを守るのに40人の犠牲を払うことはない」
マリウスが後に続き「無駄な犠牲は必要ない。妻や身寄りのある者は出て欲しい」5人が前に出たが、
カモフラージュの為の国民軍の制服は4着しかない。その時ジャン・バルジャンが国民軍の服を
差しだした。5人はバリケードを出て行った。
 コラント酒場の戸口でジャン・バルジャンは、ジャベールの姿を見つけた。ジャベールも気がつき顔を
背けた。次の一斉射撃の時、戻ってきたガヴローシュにマリウスは驚いた。手紙を預けたのには
ガヴローシュの命を救うためでもあったから…
 バリケードの被害はそれほどでもなかったが、弾薬が尽きてきたのを知って、ガヴローシュは
バリケードの外に倒れた兵士達から弾薬を集めだした。「何をしている!戻ってこい」クールフェラックが
怒鳴った。敵の弾がガヴローシュめがけて飛んだ。ガヴローシュはすっくと立ち上がると、兵士達を
にらみ返し歌い始めた。すばしこく弾をくぐり抜けたが、一発が命中し次の弾が歌声を断ち切った。
《ユゴーは下層民の象徴としてガヴローシュを描き出している》マリウスとコンブルフェールが
バリケードから飛び出し、弾の入ったかごとガヴローシュの遺体を中へ運んだ。テナルディエが自分の父に
したことを今テナルディエの息子にしようとしているのに、ガヴローシュは死に、マリウスはたまらない
気持ちだった。
正午の鐘が鳴り、アンジョルラスは皆に指示を与え、最後に残った者がスパイ、ジャベールを撃つように
言った時、ジャン・バルジャンは自分に任せてくれと頼んだ。
先ほどの射撃に貢献したことから、アンジョルラスは承知した。
銃撃の中をジャベールの綱を解き「君は自由だ!もしここから出ることがあれば私は、フォーシュルヴァンの
名でロ・マルメ街7番地にいるから、いつでも来い」と外に出そうとした。「いっそ殺してくれたらいい
ものを」と言って、ジャベールはバリケードを去って行った。ピストルを一発空に向けて撃つとバリケードに
戻り、仲間達は彼を讃えて銃を打ち鳴らした。
 国民軍と警備隊を加え大軍がバリケードに突進し、総攻撃が開始された。バリケード側も激しく
応戦したが、レーグル、フィィ、クールフェラック、ジョリ、コンブフェールが戦死し、無傷の
アンジョルラスと全身に傷を負ったマリウスガ残った。アンジョルラスはコラント亭に逃げ込み敵兵が
後を追って入った。目を覚ましたグランテールが「共和国万歳!」と叫び、二階の隅に追いつめられた
アンジョルラスの隣に立つと、互いの手を握り笑みを浮かべた。8発の弾に打ち抜かれ二人はくずれおちた。
マリウスはコラント亭の外で気が遠くなって倒れた。薄れる意識の中で力強い手につかまれ、捕虜になった
のだと感じた。

第2編 怪物の腸   第3編 泥土にして霊
 戦闘の間ジャン・バルジャンはバリケードの修理や負傷者の手当をし、攻撃はしなかった。銃弾を受けた
マリウスを抱え酒場の後ろに隠れた。地面に埋め込まれた鉄格子が目にとまり、格子を持ち上げると、
ぐったりとしたマリウスを担ぎ地下の下水道へと姿を消した。《18世紀中頃からパリの下水道は
整備不可能な迷宮と化していた。1805年にブリュヌゾーが下水調査をし、7年をかけて下水地図を作り
ユゴーはこの報告書を参考にしているが完全に整備されたのは第二帝政以降》
 真っ暗な中をマリウスを背負って歩きづめ、夕方に出口を見つけた。しかし鉄格子に錠前が掛かって
いた。目前にパリ(自由)を見ながら出られない。
足音もなく男が立っていて、ジャン・バルジャンにささやいた。「山分けにしよう」その男が
テナルディエだと彼にはわかった。ポケットの中から金を全部出すと、鍵を開けた。格子が開き、
ジャン・バルジャンは外に出た。
 マリウスを土手に横たえて川の水をすくった時、後ろに人の気配がした。ジャベールだった。マリウスを
祖父の家へ送り届けるまで、身柄の拘束の猶予を頼んだジャン・バルジャンをジャベールは拒絶せず、
馬車を呼んだ。マリウスのポケットの手帳に書かれた住所へ馬車を走らせると、ジルノルマン氏宅へ
マリウスを送り届けた後、ロ・マルメ街7番の家へ向かった。ロ・マルメの通りで馬車を返し、二人は
黙って歩いた。ジャン・バルジャンは逃げないと信用しているような奇妙な表情のジャベールであった。
家に着くとジャベールは外で待つと言い中まで着いてこなかった。ジャン・バルジャンが二階の窓から
見るとそこにいるはずの姿は無かった。

第4編 ジャべールの変調
 ジャベールはロ・マルメ街からセーヌ川に出て、ノートルダム橋の角で手すりにひじをつき、苦しみの
中にいた。これまで彼は、獲物を捕まえる狼のようだった。しかしセーヌの土手でジャン・バルジャンに
出逢ったとき、それとは別に買主に会った犬のような気持ちが混在していた。
警察の規則、法律、権力をより所としていた自分に対し、バリケードでの彼は自由を与えた。これにも
驚いたが、自分が彼を許したことが更に混乱させていた。心ならずも前科者と自分は不思議な絆で結ばれて
いたのか…。ツーロンにいたジャン・バルジャンを追っていたが、マドレーヌ市長の善良さに自分は
尊敬した。2つの像が1つになり、今自分は徒刑囚を崇拝しているのか…《法の誠実が人間の誠実に
敗れるシーンは、司教館に泣き崩れるジャン・バルジャンと対をなしている。法の秩序を超えた
「人間の良心」をユゴーは神と呼び、神への自己処罰は死だった》

第5編 孫と祖父
 マリウスは長いこと生死の境をさまよい、コゼットの名をうわごとにした。マリウスは鎖骨を折り、
多くの出血と傷があったが、内臓に損傷はなかった。祖父のジルノルマン氏が「ラマルクがお前に何を
してくれたと言うのだ。たった20才でこの老ぼれを残していくとは」と泣いた。マリウスは昏睡から
さめて、ぼんやりと目を開いた。
3ケ月後回復の兆しが見え、マリウスは祖父に結婚を頼んでみた。ジルノルマン氏は既に毎日包帯を
送ってよこすロ・マルメ街の娘のことを調べていた。予想に反しあっさりと承諾したジルノルマン氏は
早速ロ・マルメ街へ使いを寄越した。
翌日コゼットとフォーシュルヴァン氏が立派な身なりでやって来た。双方の親権者が合意して、二人の
婚約は成立した。フォーシュルヴァン氏は「フォーシュルヴァン嬢は60万フランの金を持参します」と
言い、持っていた包を開いた。《60万フランを今の貨幣価値に直すと約6億円。ユゴー自身も同じくらいの
資産があったと言われる》この金はマドレーヌ時代に儲けた金で、モンフェルメイユの森に埋めておいた
物である。
 12月結婚式の準備が整いつつある中、ジャン・バルジャンはコゼットの戸籍に孤児であると作成し、
自分の子でないことを告げたが、コゼットは父と呼んだ。
マリウスはテナルディエと自分をここに運んでくれた二人の恩人の行方を探していたが、テナルディエの
女房は死んでおり、盗賊団の内で残ったテナルディエとアゼルマの二人の行方は解らず、もう一人の男に
ついては、警部が死に、馬車の御者の話しか聞き出せなかった。バリケードにいた自分がなぜ6キロも
離れたシャンゼリゼ河岸で警部に拾われたのかが、謎だった。下水道しか考えられないのだが、なぜ
そんな事をしなければならないのかさえ解らなかった。ある夜、コゼットとフォーシュルヴァン氏にその
不思議な話をしたが、フォーシュルヴァン氏は黙っていた。

第6編 不眠の夜
 マリウスとコゼットの結婚式は、ジルノルマン氏宅で1833年2月16日に行われた。《この日は
ユゴーにとって、妻のアデールに裏切られた直後で、愛人のジュリエットと結ばれた日である》100才に
なろうとするジルノルマン氏の歓待ぶりに、陽気でうちとけた雰囲気の会となった。ジャン・バルジャンは
そっと自宅に戻り、肌身離さず持っていた鞄の中から10年前にモンフェルメイユを発つ時にコゼットに
着せた服を一式手にとった。
「とても寒い12月。二人でモンフェルメイユの森を抜けた時、あの子はこんなに小さかったのだ。
あの子には私しかなく…」ジャン・バルジャンは激しく泣いていた。

第7編 苦杯の最後の一口   第8編 消えゆく光
 2月17日の昼間フォーシュルヴァン氏は、マリウスにだけ面会を求めた。
「話があるのです。実は私は徒刑囚だったのです。そして今は、脱走中なのです」マリウスは恐怖で
後づさりした。「私はコゼットの父親ではありません。あの子は孤児で、私が必要だったのです。でも今
コゼットは私の手を離れ、ポンメルシー夫人となり幸せです。私の義務は果たしました。もうコゼットには
会わない方が良いでしょう」マリウスは徒刑囚という言葉に決定的な嫌悪感を抱き、その方がいいと冷たく
答えた。ジャン・バルジャンは去った。
 ジルノルマン宅のジャン・バルジャンに対する扱いは、日を追う毎に悪くなり、ついに訪れる事はなくなった。

第9編 極度の闇、極度の曙
 ある日マリウスのもとへテナール男爵という男が秘密情報の便りを持ってきた。
手紙にしみついたタバコの臭いにマリウスは昔を思い出した。
テナルディエだ!探していた男が見つかったと思い中へ通したが、入ってきたのは、似ても似つかぬ
飾りたてた姿だった。
「お宅にいる人殺しの秘密を買ってもらいたいのです」マリウスもジャン・バルジャンの事なら知って
いたので、マドレーヌという元徒刑囚が正直になって名誉を回復したのを、ジャン・バルジャンが告発し、
マドレーヌの金を奪った事、ジャベール警部を殺した事、を話した。そしてテナールの本当の名前も。
テナルディエは新聞の切り抜きを見せながら、マリウスの主張を打消した。「マドレーヌは彼自身ですから
盗んではいません。ジャベールは自殺したのです。では、6月の争いのあった日のことを話して差し上げ
ましょう。下水道の鍵を持って、隠れ家としている男がいました。6月6日の夕方背中に死体を担いで
下水道を歩いて来た男に鍵を開けろといわれ、相手に気づかれぬようにその死体の服を一部切り裂いて、
外に出してやったのです。この切れ端がその服です」マリウスは戸棚から服を取り出すと「その死体は私だ。
これがその服だ!」服の裂け目と切れ端は、ぴたりと重なった。マリウスは怒りもあらわに千フラン札を
投げつけると、「お前はあの人を告発しにやってきて、あの人の無実を証明したのだ。人の秘密で
金儲けしようとは情けない。お前には父の恩がとして2万フランやるからアメリカにでも行ってしまえ!」
とテナルディエをたたき出した。テナルディエは2日後にアゼルマとアメリカに渡ると、後に奴隷商人に
なったという。
  テナルディエを追い出すとすぐにマリウスはコゼットを呼び馬車をロ・マルメ街へ走らせた。
  「コゼット僕は何という恩知らずだろう。あの人は僕の命を救ってくれたのだ。これからずっと一緒に
  暮らそう。僕は一生あの人を大切にするよ。」
1833年の夏が過ぎ、ジャン・バルジャンはベットに横になっていた。食事もとらず弱々しくなった姿は
まるで80才の老人だった。夜がやってきて、彼はふるえる手でゆっくりと手紙を書いていた。
 突然ドアが叩かれ、コゼットとマリウスが入ってきた。「お父さん」ジャン・バルジャンはコゼットを
抱き寄せて「私を許してくれるのだな」と言い、マリウスには礼を言った。マリウスの胸につかえていた
想いが、せきを切ったようにあふれ出した。「お父さんは僕の命を救ってくださり、お前をくださった。
バリケートの猛火や下水道の汚水の中を通られた。僕のために、そしてコゼットのために。お父さんは
マドレーヌ氏で、ジャベールの命も救いました。私達家族の一員として一緒に暮らしましょう」
ジャン・バルジャンは「明日はもういないよ、私は死ぬのだ」と言うと、その面影を忘れまいとするかの
ようにコゼットをじっと見つめた。コゼットにファンティーヌの名前を明かし、モンフェルメイユで初めて
コゼットに会ったときの思い出を語った。「死ぬ事は恐れはしないが、悲しいのはもう生きられない事だ。
子供たちよ、お前達は神の祝福を受けた者だ」コゼットとマリウスはジャン・バルジャンの厳かな手に
とりすがりキスをした。ジャン・バルジャンの青ざめた顔は、天を見つめ死んでいた。二つの銀の燭台が
彼の顔を照らしていた。夜空には星もなく、深い闇だった。
 ペール・ラシェーズ墓地の寂しい一画に名も記されていない墓がある。今では消えかかったその
墓碑名には「彼ここに永眠す。数奇な運命にもかかわらず、彼は生きた。死はひとりでに訪れた、
さながら昼が去り、夜が来るように」
                                                                  fin

                     岩波文庫、偕成社文庫レ・ミゼラブル及び、
                 文春文庫レ・ミゼラブル百六景を基に作成しました。                                                    名前表記は舞台版にならい、また一部章の前後があります。